結果より動機

気がついたら立ち上がり、万歳をしていました。すみません、WBCの話です。いやしかし、あんなによろこぶ自分が可笑しかった。それはきっと、こうなってほしい展開を信じられた結果だと思うんですよね。
皆さんが昨日の試合を見た前提で話しますが、こんなことを感じませんでしたか? 先に点を取り、さらに追加点を挙げながらも、メキシコチームはどこかおびえていた。点差で勝敗を決める競技はまず間違いなく、先取点を奪ったほうが有利です。その先の展開上も、あるいは精神的にも。
そういうアドバンテージを有利に使えなかったというより、アドバンテージ自体が負担になっていたのかもしれない。それは紛れもなく、突き放しても食らいついてくる、追う者の気迫に押されたせいだと思います。だからメキシコチームの選手たちの立場になってみれば、「なぜ自分たちは負けたのか」ではなく、「なぜ負けなくちゃいけなかったのか」という、まさに悪夢という他にない状況を強いられたのではないかと。そのあたり、ロジカルな分析はできないんでしょうね。数字が示す実力で劣っていたわけでもないから。
似たようなことは、僕らの日常でも起こり得ます。単純に言えば、精神的に気圧されるような状況です。そんなときでも大事なのは、現状の把握かもしれません。いかなる場面でも油断や楽観視は禁物かもしれませんが、勝っているなら自信を持ったほうがいい。自分たちは今、相手より強くて有利な立場にいるんだと。そしてまた相手が自分たちを上回るには、まず追いつかなければならないのだから、その間に勝ち抜く作戦を練って実行すればいい。
とは言え、勝者のメンタルを奮い立たせるのは、特に僕ら日本人は難しいと思います。そこはメキシコ人の陽気さが強気を支えるのだろうと勝手にイメージしたけれど、人間の本質的な部分に国民性や人種は関係ないのかなと、そんなことを思いました。
「すべては日本が勝った余裕から来る結果論だろ?」
そう言われてしまえばそうかもしれません。けれど昨日の試合は、最終的な結果より様々なシーンでの動機に意識を向かせてもらえた点で、とても素晴らしかったです。ま、日本が勝利していなかったら、まったく別の内容を書くことになったでしょうが。さておき、これを読んでもらった頃には決勝戦が終わってるんだろうあ。

どんな場所でもきっちり役割を果たすんだなあと思って胡蝶蘭を見ていた。

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