狸親父の未来図

今の暦で言えば1603年3月24日。当時の暦なら慶長八年二月十二日。徳川家康が朝廷から征夷大将軍に任命されました。これを江戸時代の始まりとするそうです。家康が61歳のときでした。今の僕とほぼ同い年とはね。
大河ドラマでも家康をやっていますが、先日放送分の時間軸は1560年代半ばのようで、征夷大将軍になるまでまだ40年ほどあり、なおかつ羽柴秀吉と対峙する長久手の戦いですら20年近く先なんですよね。75歳まで生きた人なので、その生涯を年末の最終回までに描き切れるのか、勝手に心配しております。
さておき、家康が江戸に入ったのは1590年。一度は弓を引きながらも家臣となった秀吉の命でした。当時は湿地だらけだったらしいんですね。すでに都市として整っていた鎌倉や小田原に入ることも選べたのに、名もなき荒野に居を構えると決めたのは、広大な平地にインフラ整備の可能性を感じたからだといいます。
そのあたりは『ブラタモリ』が詳しかったのですが、ひとつ大きな都市計画を挙げれば、利根川の付け替え工事は壮大でした。その頃の利根川は江戸湾に直接流れ込んでいて、度重なる洪水の原因となっていたんだそうです。その河口を銚子に変更。言葉にすれば簡単ですが、あの国内最大規模の一級河川の流れを変えるなんて、思いつくだけでクレイジーです。しかし家康は、1594年にこの大事業に着手し、死後の完成に期待しました。実際に30年かかったそうです。
そうした将来に向けたいくつもの取り組みによって、何もなかった土地は世界有数の大都市に発展し、後の日本史で江戸と呼ばれる時代を構築したわけです。家康としてはどうなんだろう。徳川時代のほうが納得するのかな。
本日、何に感心しているかというと、僕が今暮らしている東京は、狸親父のあだ名を持つ人が描いた未来図なんだな、です。かつて湿地帯だった場所に今日みたいな雨が降れば、なおさらじめじめしたのかと思うと、何だかしみじみとした心持ちになります。

塀の角に桜の木があった家。何が起きたんだろう。

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