偉業の芽

取材中に教えてもらった、遠山正瑛(とおやませいえい)という人に触れます。
1906年山梨県生まれの遠山さんは、現在の京都大学大学院農学研究科を卒院後、28歳のときに外務省の依頼で中国大陸の土地と農業を研究する留学生として彼の地に渡ります。そこが惨憺たる場所だったようです。
ゴビ砂漠の浸食で農地が減少。作物が取れずに2000万人以上が餓死。日中戦争が始まり2年で帰国しましたが、何もできなかったことが大きな心残りとなったのか、農学博士として籍を置いていた京都大学を定年退職した翌1972年、自費で再び砂漠化する中国奥地の村に向かいます。
日中40度に達する水源が乏しい土地で、あらゆる手を尽くして植林を行いました。鳥取砂丘での研究で成果を得ていた葛を植えるも、放牧のヤギにたった一晩で食い尽くされたり。代替えで植えたポプラは水分不足で枯れたり。その対策として日本製オムツで使われていたポリマー材を利用して根の水分補給を補う策を講じたり。そうして植えた100万本のポプラが黄河の氾濫で流されたり。それまでも近隣住民たちからはスパイと疑われ続けたり。
何が起きても諦めなかった遠山さんは、やがて2万ヘクタールの緑の森をつくり、農地化にも成功します。その功績によって存命中に銅像が建てられました。当時の中国では毛沢東に次ぐ異例の出来事だったそうです。
わからないことだらけになりました。遠山さんにとって、戦前の中国で体験した状況がどれほど心に刻まれたのか。それが60代半ばの行動にどう作用したのか。ましてや幾多の困難に直面してもなぜやめなかったのか。
わかりたいと思うこともありました。偉業の芽です。僕らはおよそ、結果を知ってからその取り組みの凄みや尊さを知ることになります。けれどできれば、誰かに尽くす仕事が芽を出す最初の瞬間に気づき、ともに水をやれるようになれたらと。
今日もどこかで偉業の始まりが芽吹いているかもしれません。

ひっそりと渋谷川。

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