つながり

何かの集まりがあると、「いろんな人とつながってよ」と促されたりします。そんな言葉に「そうだね」と返すだけで行動に移さないでいると、仕舞には「いろいろつながったほうがいいよ」と諭されます。
なぜだか僕は昔から、そういう場面で言われる「つながり」づくりがひどく苦手です。本人が告白しても信じてもらえないでしょうが、実は人見知りゆえ社交的な性格ではなく、なおかつ人が大勢集まる場所や集団行動が苦手。だから、そもそも集まりのようなものに積極的に参加したい気持ちになりません。
あるいはより深く自己分析すると、見知った人ばかりでないと自信が沸かない臆病者のくせに、自分からへりくだることのできない頑固者でもあるらしい。どうでもいいプライドが強すぎるのでしょう。そのせいで新たな出会いや経験の機会を失い続けているのかもしれない。
それはかなり損かもなあと思うのは、つながりを大事にしている人の話を聞いたときです。つい先日聞いたのは、10年以上前に行われた勉強会で知り合った仲間との同期会でした。その様子を教えてくれた方は、「あれ以来、それぞれ会社で偉くなったので、営業職の自分にはメリットばかり」とおっしゃいました。そのメリットとは、話を聞いてくれる決裁権者にたどり着く速さなのでしょう。
それが俗に言う人脈の効能であることは理解できます。そしてもはや説明するまでもなく、面倒臭い性格に縛られがちな僕にとってそれは、なぜかためらってしまう関係性でもあります。ただ、同期会の話をしてくれた方が人脈の重要性だけを語ったなら、僕は自らを省みることはありませんでした。
何だかとても楽しそうだったのです。互いの会社を訪問し合ったり、個々の現在の悩みを打ち明け合ったり、ご本人は口にしなかったけれど、それこそがその会のメリットみたいでした。互いのスタートラインが同じだと、そういう親身なつながりが生まれやすいんでしょうね。そういう同じスタートラインに立つ機会すら遠ざけてきたから、僕には楽しいつながりがつくれなかったのかもしれない。そう気づいたのが最大の残念ポイントでした。
ごく自然に醸成されていくのがつながりだと思ってきたけれど、何か違うみたいですね。

好きな色。

 

入学式の記憶

そんなこんなで、ぼやぁっとしたまま春を迎えましたが、4月は大きな場面転換を迫られる人が多いんですよね。この週末、昨日の月曜に小学校の入学式上があると教えてくれた7歳の男の子や、今週から中学生の授業が始まる娘のお弁当をつくらなきゃいけないというお母さんに会って、自分の曖昧な時間の過ごし方を反省しました。節目がないって、精神が緩むんだなあ。
さておき、これまでとまったく違う環境に身を置く最初の日って、どんなことを記憶するんでしょうね。そんな節目の日の中で、断片的ながら、僕は小学校の入学式をよく覚えています。
体育館の照明。あれが水銀灯だったことはかなり後で知るのですが、とても高いところに備わっているのに、すごくまぶしくてきれいで、そんな光に照らされている状況に感動したんです。光線が拡散するくらい滲んで見えたのは、感涙のせいだったかもしれない。同時に、そういう感動ができる感性に酔ってもいました。おそらくあれは、自己陶酔に陥って周囲が見えなくなる最初の機会だったと思います。
それから、式の前だったか後だったか、導かれるまま教室へ向かうため通過せざるを得なかった下駄箱。ひとり一箱ずつ用意されていて、その扉にはそれぞれの氏名が平仮名で表示されていました。しかし、僕の名前はなかった。あろうべき場所にあったのは「たむらとしお」。もしやそういう名前の子がいるのかもと、皆が上履きに履き替えるのを一通り見守って、やっぱりなと思いました。
これは過去に散々経験してきた誤記。十七男が「となお」と読めなくて「としお」になっちゃったんだと、大人がよくやる間違いを小学校もするんだと、そういう子供らしくない冷めた目線は、小学校に上がる前から持ち合わせていたようです。
それから五十有余年。様々な経験によって性格形成が行われたはずですが、三つ子の魂とはよく言ったもので、性根は今もって7歳のままみたいです。今年入学式を経験した子供たちは、何を記憶するんだろう。周囲の大人は、それを知るべきなのか、または放っておいたほうがいいのか、どちらが正しいのでしょうか。僕はこの件、たぶん親に話していません。皮肉を好むのも、生まれついた性癖なんだろうなあ。

曇り空がどうのとボヤいていたら、青空の下で満開の桜を拝めました。

 

極めて平和な悩み事

あくまで個人的な感想ですが、今年の春はいつも以上にぼやぁっと訪れた気がしています。桜の咲き方のせいかもしれません。例年よりうんと早く開花すると伝えられていたのに、実際は寒の戻りでかなり遅くなり、ようやく咲き始めたら曇り空続きで、今ひとつ満開感が薄くなってしまった。それは桜のせいではありませんね。開花予報を出したのも、見栄えに勝手な評価を下すのも、すべて人間の都合だから。
あと、どういう理由か不明ですが、枝を短く切られた桜も多く、枝振りが冴えなかったのも残念です。最長でも80年とされるソメイヨシノの延命対策だったのかな。
その一方、今年の春で例年以上にせかせかしていることもあります。メジャーリーグ中継が忙しすぎるのです。ご存じのように、今季からまた彼の地でプレーする日本人選手が増え、それに伴って日本人選手同士の対決が増えている。見逃せないじゃないですか。
ただし、現地時間のライブ放送となると午前3時過ぎスタートだったりして、それはさすがに付き合えません。なので録画し、目覚めてから朝食とともに眺めるのだけど、やっぱりスポーツの録画鑑賞は勝手に枝を切るような無礼さが募りますね。大谷選手の打席だけ見て他を飛ばすとか、そんな所作は野球への冒涜ではないかと、早送りスイッチを押しながらも我が身の罪深さを呪うのです。
何にせよ、前後の文脈を無視した切り取りは、取材者として手落ちというより手抜き。一定の時間を要して連続展開する事柄に、誰かにとって都合のいいシーンばかりが続くはずがなく、そのすべてを見届けてこそ語る資格を得られるものです。ここ最近は、そんな正論と戦いながら、そして正論を踏みつけ続けている。でないと録画が溜まって、ますますライブ感が薄まるから。
どうでもいいことで悔やんでいる僕の頭がぼやぁっとしているのでしょう。いずれにしても気温が高くなり、身軽な感覚が高まった春ならではの、極めて平和な悩み事です。

今年の桜が冴えないのは、僕のオンボロの色合いではなく、曇り空のせいだと思う。

ちっちゃいゴジラ

3年ぶりに動画のお仕事の依頼がありました。カメラの前に立って何かを説明するわけですが、人前でギターを弾くほどには緊張しません。それなりの経験があるからです。
21世紀になる直前にテレビ番組の企画書をつくり、つくったことすら忘れて迎えた21世紀最初の年、縁あって自分がMCを務める番組が始まりました。12年も継続したことが、今となっては懐かしいです。
動画の仕事でさして緊張しないのは、自分の見た目を諦めているところもあるからだと思います。そりゃ、スケベ心はありますよ。少しはマシに見えたらいいなあという。でも、いくら待ってもルックスを褒められる機会が訪れなければ、そういうことねと自覚したほうが気楽です。だからと言って、どうでもいいやと自暴自棄になるのはむしろカッコ悪いから、せめて人様を不快にしない程度の身なりと謙虚な態度は保ちたいと、そう思いながら生きているわけです。
「いやいや、トナオさんは遠くからでもわかりますよ」
これは、口さがないというか気心が知れた、僕の髪を切ってくれる店長の言葉。何がきっかけだったかは忘れたけれど、常に大人しく目立たないよう心掛けていると言った僕に対する反論でした。当然、聞き返します。なぜ遠くからでもオレってわかるんだ?
「そりゃ背が高くて色が黒くて、おっかなそうに見える人なんて滅多にいないからですよ」
本当におっかなそうなら、君も言葉を選ぶんじゃないか? それに、身長は175センチしかない。
「ウソでしょ! 180センチは優に超えてるんじゃないですか?」
あと、確かに生まれつき肌は黒めだけど、この時期はまだ日焼けしてないから、むしろ白いと思っている。
「十分に黒いですよ」
そうだとしたら、オレって街中を歩くちっちゃいゴジラなのか?
「そうです、それそれ。ちっちゃいゴジラ、ウケる!」
そう言って彼女は、鋏を持つ手を止めてしばらく笑い転げました。
そんなもんですよ。自分が思う自分に反して、他人に見える自分は東宝映画の出来損ないに映るんです。だから、カメラの前に立って緊張するほどの期待を寄せてはいけない。こんなもんですがよければと晒す勇気をもたなければならない。
それにしても、ちっちゃいゴジラがそんなにハマるとは。一度くらい銀髪にしてもいいかなと思っていたけれど、それで今度はちっちゃいメカゴジラに見られるのも癪なので、この案は却下することにしました。

今回の動画でお付き合いしたのは、こんな顔。君もいかつい系だね。

 

聞かないほうがいい話

聞けない話はたくさんあるようです。たとえば会社内で、下位者は上位者に対してあれこれ気を遣わざるを得ないので、なかなか自由に話せないそうですね。ん? 最近は立場が逆転しているのかな? いずれにせよ上下関係は、組織の中や取引相手の間という、実際の距離にくらべてマインド的距離感が遠いのが常ですから、遠慮や忖度が生じやすいのかもしれません。
そんな中で上位者の意図の世間に伝えたいとき、重宝されるのが僕のような第三者です。仮に暴言を吐きまくって場を荒らしても、そもそも外部の人間なので減給も首にする手間も不要。そんなことはしないし、したこともありません。けれど、事前の申し送り事項で遠慮や忖度を求められるケースが無きにしも非ず。
そういう場合は、顏はわかった風を装いつつ、内心では「聞いちゃうぞぉ」と盛り上がります。そしてまた、実はランクの高い人ほど仕事上では孤独感が募っているので、むしろ突っ込んで聞いてほしいところがあるだろうと思っています。
そんな心情を知ったのは、ある会社の社長の独断で実行された定期的な取材でした。それが始まる前、僕からたずねたのです。内部で行えばコストがかからないのではないかと。そこで社長が「そうだ!」と気づいてしまえば、僕の新たな仕事は消滅します。ゆえに勇気を伴った発言だったかというと、そうでもありませんでした。僕にも相応に人を見る目があり、その社長の判断が揺るがないこと知っていたからです。現にその人は、僕にこう話しました。
「社員だと気を遣われて、聞いてほしいことを聞いてくれなくなるから」
それはたぶん、「社員だと気を遣って、話したいことが話せなくなるから」と同義なのだと思いました。上にも下にも、それぞれの慮りがあるのでしょう。
そんなこんなで第三者の僕は、企業案件がけっこう好きです。この間も下位に属する人たちから「そんな話、初めて聞いた」と言われました。僕としては普通に質問しただけですが、まぁ、うれしいですよね。ただし、上位者のインタビューで上手いことツボを突いてしまった場合、書いちゃいけないネタだらけになることがあります。だから遠慮や忖度によって聞かないほうがいい話もあるのかと、そんな現実に直面するたび、インタビューの難しさを思い知らされたりするのです。

今年初見の開桜桜。北風に吹かれていました。

準備

準備という言葉が頭を過るとき、最初に紐づくのは童話の『アリとキリギリス』です。生命の危機に晒される冬に備え、他の季節で食糧集めに奔走するアリ。その生真面目さを嘲笑うように日々気ままに暮らすキリギリス。だいたいこんな話でしたよね。
ただし結末は時代とともに変化しているようです。昔のアリは、冬を迎え食べるものがなくなったキリギリスを「自業自得だな」と見捨てました。僕はこの終わり方に恐怖のメタファーを見たのですが、にもかかわらず先行き不透明なフリーランサーになったりしたので、今もって人生の冬の到来に怯えています。
さておき、ある意味で見殺しにしたアリの態度が厳しすぎたのか、近年ではアリがキリギリスに食料を分け与えるオチになったみたいです。「それってどうなの?」と、旧キリギリス派の僕は憤慨します。アリの優しさにつけ込むズルさを子供に教えていいのかと。あるいは真面目に働けば損するだけじゃないかと思わせていいのかと。いやまぁ、キリギリスのくせに正論を吐くなって話ですけれど。
え~と、つぶやきたかったのは、準備にかかるコストです。キリギリスは生粋の楽天家なので、今日の楽しさを優先して生きるわけですよね。つまり彼のコストは現在にだけ集中する。対するアリのコストは、今日の楽しさよりも将来の安定に向けられます。集団で生きる昆虫なので、そのコスト計算には多くの個体の労力も含まれるはずです。
それを念頭に置くと、中には悲観論者のキリギリスがいたとしても、およそ単独行動の彼らの生態上または慣習的に、アリのような準備はできないのではないかと……。
そんなことを考えたのは、台湾で一昨日起きた地震の被害状況でした。すぐさま様子を伝えたテレビのニュースは、地方らしき町の、いかにも古そうなビルが倒壊する姿を映し出しました。一方、しばらくしてから見た都市部は、地震の影響がほとんどなかったそうです。震度が違ったのかもしれません。けれどおそらく、耐震・免震等々、そこには地震に対する準備の違いが現れたのだろうと思いました。
アリとキリギリスが迎える冬にしても、僕ら人間が被る自然災害にしても、それは避け難くやってきます。だから準備が不可欠なのは正論中の正論。しかし、そのためのコストを払える者とそうではない者の存在を認めると、正論は机上の空論に転じてしまうのではないか。
などとここまで書いて、何が言いたいのかよくわからなくなりました。様々な事情によってできない準備に対して、「仕方ない」以外の救いの言葉はないものかと、そんなことを思っています。

見返して気恥ずかしくなる、Theをつけたくなるほどの観光写真。

 

あんぱん/アンパン/餡パン

今日は『あんぱんの日』。1875年(明治八年)の今日、明治天皇が水戸邸の下屋敷に花見で訪れた際、木村屋があんぱんを献上したことに由来しているそうな。木村屋とは、現在は木村屋總本店という名の銀座が本店の老舗パン屋。創業は1869年(明治二年)で、その5年後の1874年にあんぱんを独自開発。翌年には天皇に食べていただけたのだから、相当な企業努力があったのだろうと推察します。
その献上品のあんぱんのトップにあしらわれたのが、奈良の吉野山から取り寄せた八重桜の花びらの塩漬けだったそうです。あったな、桜のあんぱん。あれは木村屋発祥だったんですね。
ところで、あんぱん。木村屋は平仮名表記を商品名にしたようですが、僕のPCで打つと最初にアンパンと出ます。それは僕の癖を学習した結果だろうし、一般的な表記も片仮名が多い気がします。そのあたり、面倒臭くも突き詰めていくと、あん/アンは日本古来の餡で、ぱん/パンは外国由来だから、餡パンとするのが正しいかもしれません。いやいや、それこそ面倒臭いか。ただ、あんぱんであれアンパンであれ餡パンであれ、この小さな食べ物には日本特有の文化が凝縮しているのではないかと思うのです。
英語ではブレッド/breadのパンは、戦国時代にポルトガルからやってきた宣教師がカステラとともに持ち込んだパオン/Pãoが起源らしいんですね。それが庶民の口に届くまで数世紀を要するわけですが、そのパオン由来の食品に小豆を加工した餡を入れて焼くというのは、いわゆる和菓子の発想です。そういう外国文化を自国流儀でアレンジし、なおかつ昔から自国にあったような文化に仕立ててしまう。
この前会った台湾出身のアーティストは、外来語をカタカナにして日常会話に取り組むところに日本のおもしろさがあると言っていました。だからやっぱり海外でもバレているんです、日本人の器用さというかズルさは。
「また屁理屈こねてる」と呆れたでしょ。僕自身もそう思う。美味しければいいですよね。何しろ僕は小豆が大好きなので、あんぱんは好物です。ちなみに粒あん派。ミックスカルチャーに思いを馳せる上でも、今日はできれば木村屋の塩漬け桜の花びら付きをいただけたら最高です。

このシュールに様変わりした建物、前は何だったっけ@御茶ノ水。

言われたところで

言ったところでどうにもならないのはわかるんです。たとえば、2カ月前の音楽会的催しの出演者のひとり。本番の1週間くらい前、料理の最中に包丁で指を切ったらしいんですね。それを当人から聞かされたのはイベント当日の朝。わりと大きめの絆創膏を巻いていたので気にはなったのだけど、まさかそんなことになっていたとは。まぁ、聞かされなかったから当然ですが。
豊富な演奏経験を持つ人なので、注意を怠ったとは思いません。それでも致し方なく怪我を負い、傷の痛みを自覚した瞬間には、ステージに穴を開ける可能性まで考えたはずです。
さらに推測を重ねると、切ってしまった指を別の手で握りながら冷静にジャッジしたと思うんですね。楽器を弾けるか弾けないか。そして当人は、いけると判断した。だから家族以外には黙った。状況を知った周囲を動揺させたくなかったのかもしれません。とにかく弾けると思ったら弾き切ると決め、実際に見事な演奏を披露してくれて、当人すれば小規模に属するイベントであっても、そこで見せた覚悟と責任感に僕は大きな感銘を受けたのでした。
それと同じなのだろうかと思った母親の一件がありました。
以前もクルマにぶつけられたコンビニの駐車場あたりで、またしてもクルマが飛び出して来たらしいんですね。本人によれば、今度は何とかクルマをかわしたものの、やはり足腰は頼りなく、その場で転倒。肘と膝を路面にぶつけた痛みはあったものの、関節を捻った自覚はなし。ただ、一度転んだら起き上がるのは大変と一人嘆いた刹那、背後から男性の声で「腕につかまって」という声が聞こえたそうです。
「ひゅいって持ち上げてくれたのよ。そんな親切があるのかと思ってお礼を言おうとしたら、その人、すぅっと駅のほうに歩いて行っちゃった。こういうのを功徳っていうのかしらねぇ」
やがて功徳を授かるのは、その親切な男性に他なりません。この場で母親に代わってお礼を申し上げます。
それよりも、あの駐車場には近づかないでくれって言ったのになあと。ましてや事実を打ち明けたのは転倒から2週間後で、その間の電話でも伏せていたのはなぜだろうと……。
耳が遠いので問い質しませんでした。あるいは先述の演奏者と同じように、本人判断によって心配をかけたくないと思ったのかもしれません。ただ、そこは老人なので完全に大丈夫と言えるまで時間がかかったのでしょう。
結局のところ、知らぬが仏という諺があるように、言われたところで僕にはどうすることもできません。なので今回の母親の件は、まだまだ一人で頑張る覚悟と責任感の表れと見ることにしました。それで本当にいいのか、ジャッジしきれない部分が残りますが。

日曜日のお花見の、河川敷の桜。そちらはどうですか?

 

 

スーツで働く新社会人の方々には

昨年末以来だから3カ月ぶりに髪を切りに行ったら、出迎えてくれた男性スタッフに「今日は貸し切りですよ」と言われました。聞けばその日は複数展開している店の入社式があり、多くのスタッフがそっちに向かったんだとか。
ん? 商売より自社の式典のほうが大事か? それなら全店お休みにしたほうがよくないか? などと今になって店内の客が僕だけになった理由がわからなくなってきました。他社の入社式の出張ヘアメイクにスタッフが駆り出されたのか。そっちのほうが辻褄が合いそうだ。僕の聞き間違えか、彼の説明下手か。まぁ、どっちでもいいのですが。
いずれにせよ、髪を切った頭に入社式というキーワードが注入されたあと、取材でさらに都心部へ。地下鉄からJRのホームへ進んだら、いかにも新調したっぽい黒のパンツスーツをまとった若いお嬢さんを何人か見ました。新年度初日の文脈に添えば、彼女たちは入社式帰りなのでしょう。しかし、若い子が地味で個性を殺した服をまとうと、奇妙にも初々しさが滲み出ますね。
そうして女性を見かければ、同じように男性の新人さんを探したくなります。そちらは取材後の午後6時過ぎのホームで何人か目にしました。予想通り、男子のほうが着慣れていない感が顕著でした。
ネクタイにスーツって、上手に着こなすのが難しいですよね。僕もそうでした。ええ、僕にも遠い昔、新社会人となってスーツをまとった日があったのです。とても嫌でした。今日から社会人と言われても、昨日までガキの顔にスーツはまったく似合わない。なおかつ、着るのではなく着させられている感があまりに強くて、当時はそういう儀礼的な側面だけで社会人のしんどさを味わった気分になりました。結局のところ、スーツじゃなくてもかまわない仕事に就きたくて、今に至ったところがあったと思います。
いやいや、服装だけで職を選んでいいはずはなく、むしろ身なりより中身のほうが大事なわけですが、当分はフィットした感触を得られないスーツで働く新社会人の方々には、着慣れないままくたびれていくことがないよう願うばかりです。頑張ってね。

初めて東京に来て入社式を迎えた人は、こんな景色をどう見ただろう@聖橋。

 

愉快な馬鹿に

4月1日と言えばエイプリルフール……。ふむ、といったん溜息をついておきます。
四月馬鹿という訳語がありますが、そもそもエイプリルフールはこの日に騙される者を指すらしく、英語的にはApril fool Dayが正しいそうな。でも、四月馬鹿日と訳すのも間抜けですね。
Foolと言えば、ザ・ビートルズの『The Fool On The Hill』。これまた直訳すると「丘の上の馬鹿」になりそうですが、曲をつくったポールにすると、地動説を唱えたばかりに世間から疎まれたガリレオや、本人が師と仰いだインドの哲学者を指しているとかいないとか。
いやまぁ、いずれにしてもエイプリルフールは、その起源からしてよくわかっていないらしいんですね。なのに世界中で広まったのは、嘘ほど楽しいものはないという古今東西あらゆる人間の性に起因しているからかもしれません。どうなんだろう。
しかし最近は、「4月1日と言えばエイプリルフールだね」と言った途端に年寄り扱いされかねないでしょう。それくらい四月馬鹿は流行らなくなった。その理由を考えてみると、小気味のいい爽快な嘘が聞けなくなったというよりは、すぐにばれる嘘すら許容できなくなった時代の狭量さに問題がある気がします。テクノロジーの進化によって、フェイクが限りなくリアルに見えてしまうのもよくない。そんな本当っぽい嘘が瞬く間に広がってしまう速さもそう。
まぁだから、エイプリルフールに合わせて発表されたおもしろい広告を楽しめた時代が懐かしくなるわけです。年寄りとしてね。そんな昔のクリエイティブにも目くじらを立てた人はいたはず。けれど全体的には、そんなことで怒るほうが馬鹿だよと笑い飛ばしていたと思うんです。懐が深かったというか、それこそ愉快な馬鹿になれる度量があったというか。
過去を懐かしがったところで何も変わりませんが、先週末からの馬鹿陽気を受け、今日から始まる4月は阿呆なほど寛大な人間になれるよう頑張ってみます。嘘くさいですね。オレも無理だと思っています。

JR燕三条駅の構内で綱引き大会って、嘘っぽいでしょ?