それでもワールドカップを見ようと思います

サッカーワールドカップ、いよいよ開幕! と叫んでみても、今回は響きの鈍さが否めませんね。この国の人たちは、いつから日本代表チームへの関心が下がったんだろう。少し前は違いました。どの大会かは覚えていないけれど、仕事で深夜に帰宅したとき、集合住宅の各部屋はほとんど明かりが灯っていて、クルマから降りるとそこら中から歓声が上がり、こいつはいかんと慌てて駐車場でダッシュしたとか、そんな時期もあったはずなんです。
何だかねぇと、よくある人気の低迷に関して誰かと話すとき、心の中では小さく責任を感じたりもします。なぜなら、ひとまず僕も物事を伝えるメディア側にいる人間なので、情報の扱い方で人気や話題が変わってしまうことを知っているからです。
個人の考えですが、正義の剣に思えそうな公共性も、誰かが「公共的である」と判断した私的な見解に過ぎません。だから、たとえばサッカーのワールドカップが歴史や伝統のある公共性が高いニュースソースであっても、この時点で注目を集めそうな別の話題を取り上げたほうが公共的になってしまいます。そしてまた公共性が高いトピックにはお金が集まりますからね。
それがこの世の本流だとしても、良いものを広く伝えるべく育てていくこともメディアの使命です。それを怠った結果が、今日この時点での日本のサッカー認知度かもしれない。
別件ですが、唯一の雑誌連載でゴルフに関わっていて、そこでよく話されるのは男子プロの人気低迷です。大会運営の機構に問題があるというその筋からのそれっぽい情報も耳にするけれど、「スター選手が出てこない」というような、不人気の理由を選手に押し付ける意見のほうが多い気がします。それだって、一人ひとりのプロゴルファーを丁寧に紹介すれば違ってくると思うんです。僕の周囲ではゴルフ好きが多いのに、このギャップはどうしたもんだろう。などと他人事のように語っていい立場ではないんですけどね。
それでもとにかく、僕はできるだけワールドカップを見ようと思っています。この期に及んでまだ責任回避しようとしていますが、公共性を重んじるはずのテレビ中継がある限り。

ひたすら均しておられました。

正義感と正当性/スーパーマーケット編

実は正義感というものをあまり信じていません。そもそも個人の感覚だから絶対的ではないのに、ひとたび正義を掲げてしまうと、自分が選ばれし勇者にでもなったような高揚感を覚え、対峙するものすべてを悪と決めつけてしまいそうで怖いからです。であれば、明確な意図を忍ばせた悪意のほうが信じられる。ひねくれていますかね。
とにかくそんなわけですから、自分の中で正義感めいたものが首をもたげそうになったら、半ば強引に正当性という論理に置き換えるよう努めるのです。それがよく起こるのは、スーパーマーケットのレジ前です。
最近は床に順番待ちの立ち位置が示されていますよね。あれ、次が自分の会計の番になったとき、どこで待つか悩みませんか? 床にはレジ脇に立つよう促す印があるのだけど、それだとレジ前の通路を塞ぐ形になるし、何より前の人のカゴの中をのぞくようで嫌じゃありませんか? 僕なら、できれば見られたくはない。だから大抵は、レジ脇の印より後方の、通路にかからない場所に立って次を待つのです。
ところが、僕の正当性によって設けたスペースにスッと横入りする人がいます。たいがいはオバチャンです。カートの操作が妙に巧みなんですよね。キュッと小回りさせる技に、つい見とれたりする。いやいや、そうではなく、仮にレジ前に1.5人分くらいのスペースがあったとしても、そこに滑り込む前に列があるかなしや確認しないもんかな?
そう思った瞬間、僕の中で正義感が芽生えそうになります。ここは何か言わなければならないだろうと。自分の後ろで並んで順番を待っている人のためにも。で、後方に意識を向けると、そういうときに限って誰もいない。となればオバチャンは確信犯に違いなく、にもかかわらず僕の姿を無視できるなんて、相当の使い手だろうと身構えたり……。
たぶんオバチャンには正義感などないのでしょう。あるとすれば、そこにスペースがあったという正当性だけ。一方で僕には、スペースを空けた正当性と、正当性を損なわれたことに抗議すべき正義感がある。要素はひとつ多いけれど、それが感情を伴う武器ゆえムキになるのを恐れて交戦をためらってしまう。オバチャンは口論で勝てる相手ではないという経験値も邪魔して。
そんなふうに自分の中で正義感と正当性を戦わせているうちに、オバチャンは会計を済ませちゃうんですけどね。持ち合わせた武器も権利も行使しないからか連戦連敗。これはなかなかに虚しいです。でも、正当性だけでもぶつけてみたら何かが解決するのだろうか。あるいは衝突させた結果、レジ前を戦場化することに正当性はあるのだろうか。それに鑑みて正義感をいさめるほうが、ささやかな平和の維持に貢献できるのではないか……。
なんてことを考え出すと、また横入りされそうですね。僕にできることがあるとすれば、あえて空けたスペースに入られないよう威圧感を発するくらいでしょうか。それも無視されるんだよな。スーパーマーケットのレジ前は、僕にとって極めて緊張感の高い場所です。

赤の限定版、なかなか美味いっす。スーパーで見つけました。

 

現状維持の真理

野球の、メジャーリーグの話です。大方が予想した通り、大谷翔平選手の2年連続アメリカン・リーグMVPは叶いませんでした。受賞したのは、ニューヨーク・ヤンキースのアーロン・ジャッジという外野手。このMVPは記者投票で決まるのですが、アメリカの情報は東海岸から発するからニューヨークのプレイヤーが有利だとか、果ては人種問題まで取り沙汰されたりとか、投票結果が出るまであれこれ騒がれました。結局のところ、ジャッジさんがリーグ新記録の62本のホームランを打った点が大きく評価されたみたいです。アメリカのベースボールはホームランが大好きですからね。
一方で大谷さんは、ホームランで言えば昨年の46本から12本少ない34本ながら、アメリカン・リーグでは4位に入る数字。投手成績に至っては、昨年の9勝2敗、防御率3.18から15勝9敗、防御率2.33へと大躍進。投打のバランスがさらに高まったわけです。にもかかわらず、今シーズンは主だった賞を獲れず。これにはアメリカ国内でも様々な意見があるらしい。
でも、むべなるかなとも思うんですね。マンガですら実現不可能すぎて描かない存在にふさわしい既存の賞などありませんから。となれば、大谷さんのような選手向けの、まったく新しい賞をつくる他にない。でも、それで毎年同じ選手が獲得するようなことになるのもどうかなと。そのあたりは何とも言えませんね。賞を獲るだけが成功の証でもないし。
二刀流の大谷さんが2年連続MVPを逃した理由の一つに、「もう驚かなくなった」というものがあるようです。にべもないですね。しかし、人は驚愕の事実に慣れていくから、そういう心理が働くのも理解できなくありません。選手にしたら、「これ以上どうすればいいんだ?」と困惑するでしょうが。
ここから話は一気に小さくなります。僕はこの10年来、現状維持を目標にしてきました。情けない志と嘲笑されるでしょう。それは自分でもわかっています。しかし、歳を重ねるほどにフリーランスの物書きという立場を保つのは難しくなるはずなので、石にかじりついてでも現状の場所に立ち続けたいと。そんな思いを、類稀なアスリートの活躍によって鼓舞されるというオチでも、決して悪くないと考えるのですが、いかがでしょう。いやいや、成長著しい大谷さんが現状維持の好例というわけではなく、自分の居場所を創造し続ける最高の手本として見ている、という意味ですよ。

久しぶりの原宿駅付近。都心でものどかだなって思う場所はあるね。

 

たまアリ

僕などに至っては、知っている言葉より知らない言葉のほうが圧倒的に多いわけです。しかし職業的に語彙は豊かでなければならず、だから知らない言葉に出くわすたび、まだまだ修行が足らんとこっそり落胆するのです。
ただ、負け惜しみを言うつもりはないのだけど、言葉というのは知っているだけではダメで、使いこなせてこそ初めて機能するものだと思うんですね。原稿書きという職能においては特にそうです。
たとえば、自分でも耳馴染みのない難しめの単語を文章の中に混ぜると、「何だか頭がよさそうに見えるじゃん」とか、自己満足が勝るだけの独善的な仕上がりになりがちです。恥ずかしながら、大昔はよくやりました。けれどちゃんと読み返せば、やっぱりそこだけぽっかり浮きます。よく言われる本当の頭の良さとは、難解な事柄を平易な言葉で説明できること。そこにも置き換えや代用を可能にする語彙力が必要なんですよね。
であれば、まずは知っている言葉を駆使して勝負する。その中で、知らない言葉を自分のものにできるようトレーニングを積む。カッコつけようとすると、たいがいはカッコ悪い結末を迎えるので、そこは十分に注意しなければならない。にもかかわらず……。
たまアリと口にしたつもりが、さいアリと発音していました。聞かされたほうはしばしキョトンとなって、たぶん悪気などないままに「ああ、たまアリ」と訂正してくれました。さいたまスーパーアリーナの略語です。そんなふうに略すなんて初耳だったのに、そういうことになってるんだと気取ってみたら違ったという、これは知ったけれど自分の言葉にできていない典型ですね。顔が赤くなったの、バレなかったかな。
だから、業界的であれ若者文化的であれ、何でも略す傾向には迂闊に乗っからないほうがいいんです。たとえ長くても、さいたまスーパーアリーナはさいたまスーパーアリーナ。横浜アリーナも横浜アリーナ。正式名称を堂々と発言しておけば、横アリか浜アリで悩む必要もなくなります。
知っている言葉より知らない言葉のほうが圧倒的に多いけれど、知った気になっている言葉も多いだろうと、そこは地道かつ丁寧に検証しなければと思いました。さいアリ。いや、たまアリ。どちらも鍵のかかる抽斗にしまいます。

 

くまモン印の柿は、でっかくて重くて甘かった。オススメ!

感謝しかない

今日は、1906年生まれの本田宗一郎さんの誕生日です。生きておられたら116歳。そんなわけで、若い世代はこの名前を聞いてもピンと来ないかもしれません。Honda、本田技研工業株式会社の創始者です。
現在の静岡県浜松市に生まれた宗一郎さんは、16歳で東京の自動車修理工場に入社。当時の慣習で言えば丁稚奉公です。機械好きの青年は一生懸命働き、22歳でのれん分けを受け、地元に戻って独立。事業を拡大していきます。ですが宗一郎さんは、経営より発明や開発に興味があったようで、自作のクルマでレースに出場したり、エンジン部品の研究に余念がありませんでした。
そんなセンスの塊の人も、やがて経験値だけでは立ち行かなくなります。そこで31歳から3年間、静岡大学工学部の前身である浜松高等工業学校機械科の聴講生となって学びます。知識の得方の純粋性に敬意を覚えますね。
終戦翌年の1946年、本田技術研究所を設立。今に続くHondaは最初、自動車やオートバイを語らず、技術研究所を名乗ったのもまた宗一郎さんらしいと言えるでしょう。そうして四輪・二輪を問わずヒット作を次々に生み出していきました。
もし、の話をします。もし宗一郎さんが生まれなかったら、あるいは機械や発明に興味が及ばなかったら、手近なところでは、僕が20歳で初めて買うオートバイはHondaではなかったはずです。そしてまた、もっと大人になってHonda関連の仕事をすることもなかったでしょう。そんなことを考えたところで、どうになるものではないかもしれません。もし宗一郎さんがいなくても、別の本田宗一郎的人物が現れただろうし。
「感謝しかないです」と言ったのは、先日会った30歳の音楽家でした。一般的な節目の歳を迎えて、自身の現在の立ち位置をたずねた際の返答です。16歳で同級生とバンドを組んでここまで来て、もし彼らがいなかったら今いる場所には立っていなかったと、そう話しました。偶然とすら感じなかった出会いが必然になっていった過程に向けて感謝を述べる気持ち、ちょっと忘れていたなあと思って。それで宗一郎さんを引き合いにしてこんな展開になりました。
それから、故人を偲ぶときは命日を頼りにしがちですが、誕生日を思い出すのもいいなと、これはずいぶん前から思っていることでもあります。

たわわね。ゆず?

「ダメだ」より「いいね」が上回った結果

閉幕してから数日経って言うのもナニですが、10日から13日までのWRCラリージャパンには、久しぶりにクルマ好きの、というかモータースポーツ好きの心を刺激されました。
WRC/世界ラリー選手権をざっくり言えば、世界各地の公道を利用して、トップカテゴリーで500馬力のクルマが区間タイムを競う競技です。ドライバーの脇にコースをガイドするコ・ドライバーが乗り込むのは、他のモータースポーツでは見られない特徴ですね。
特に感銘を受けたのは、「よくこの国で開催できたなあ」という一点に尽きます。実はこの大会、2004年から2010年までに北海道で6回行われた過去があります。そのときも、「よくぞこの国で」と思ったのだけど、開催を実現させた方たちには相当の苦労があったはずです。最大の障壁は、そりゃお金の問題が一番でしょうが、同時に公道を封鎖するラリー競技の伝統に理解を得るには、計り知れないほどの労力を費やされたと推察します。そこで思ったのは、ダメと言うのは簡単だってことです。
僕らの日常も、そこら中でダメと出くわします。今あるものを変えたいときには特に。なぜなら、変えないほうが楽だし、変えると都合が悪くなる人が出てくるから。という傾向は、大勢の人間が関わる組織で顕著かもしれません。けれども個々人においても、「いいね」より「ダメだ」と口にする人のほうが多い気がします。
それが日本人のメンタリティであれば、僕も肯定より否定の意識が先立つことはよくあります。かつて編集長を務めていたときは、編集部員たちにダメ出しばかりしていたように思うんですね。決裁権に対する責任と言えば聞こえはいいですが、自分以外の意見を認める度量がなかっただけだったかもしれない。あれはダサかった。
そんな残念な記憶があるだけに、簡単にダメと言わず、いいものにはいいと言い、すぐに判別できなければ「どうかな」とためをつくれるよう心掛けることにしました。あくまで心掛けです。できているとは言い難い。ま、本当にNGなものは即座につぶす必要もあるのだけど、ダメを出してしまうとその場ですべてが終わっちゃうじゃないですか。それはどうなんだろうと。
ラリージャパンの話でした。「ダメだ」より「いいね」が上回った結果だと思って眺めていたら、なかなかに胸が熱くなった、という件です。

軽井沢で撮ったこと以上に意味のない風景。

体の中に空洞ができる恐怖

いつだったか、大人になるにつれ子供の頃の弱点が拡大する、みたいな話を書いたことがあります。皆さんはどうですか? そんな体験、ないのかな。僕はもう、いろんな弱点の拡大と肥大と増長に苛まれています。
その最大級のものは、高所恐怖症。幼かった頃、木の跨線橋を渡るのが怖くて父親に笑われたときは、それに名称があるとは知りませんでした。だってね、木の端が削れて下を通る電車が丸見えになるような道を渡るなんて正気の沙汰じゃないよと、正気の沙汰なんて言葉も知りませんでしたけれど、僕の中では一定の根拠があっての反応だと思っていたわけです。ゆえに鉄やアスファルトの上なら大丈夫だった。
しかし、どうも違うんですね。高いところに行くと、どうしようもなく体がすくんでしまう。個人的には、肛門が開いて体の中に空洞ができる感覚なのですが、それにまるで耐えられない。いろいろ考えてみても理由が不明なので、それはもう先天的な特性という他にないと思います。だから上手に付き合わなくちゃいけない。というか、可能な限り高所を避けて生きなければならない。
ですが、高速道路。限定的になりますが、レインボーブリッジがしんどい。ハンドルを握る手からして、ほぼ硬直しちゃいます。なおかつ左車線だと下の景色が見えやすくなって怖さが増すので、できれば右車線を走りたい。しかし右車線はある程度の速度が求められるから、硬直しがちな状態でアクセルペダルを踏むというのは、『アルマゲドン』のブルース・ウィルスみたいな勇気がいるんですね。書いているだけで汗ばむな。
実はこの後、房総半島の中部辺りに行く用事があります。一般的な最短ルート検索では、アクアラインが示されます。ここもねぇ。川崎側からはまだいいんです。海底トンネルを抜けると橋梁部分の頂点に達するから。けれど木更津側からだと、海の上を走りながらひたすら頂点を目指すんですよね。その間はもう、体の中に広がる空洞を沈めるために「オレは大丈夫!」と何度声に出して叫ぶことか。
今後を考えると、僕は高所恐怖症が酷くなって免許を返納するんじゃないかと思ったりします。あるいは、こうして情けない話を公開することで精神面の改善を期待してもいるのです。ひとまず、行ってきます。時間が許せば、アクアラインを使わないルートを選ぶかもしれないけれど。

歩道に浮かぶ秋らしい赤。何の実か、すぐに言えないのが残念。

いつまでたってもエキサイティング

久しぶりに同年代と話せたかと思えば、翌日には30歳の音楽家にインタビューする。やはりこの仕事は、なかなかにエキサイティングです。
そうなふうに、同級生くらいと息子ほどの相手を立て続けに取材する機会は、あまり多くありません。なので、そんな2日間を迎える前日あたりは、いつもと違った緊張感を覚えたりします。
緊張感の源は、軸がぶれないかという危惧です。軸とは、聞き手としての立場。相手が誰であれ、たずねるべきことをたずねる。そのためには、インタビュイに対して最大限の好奇心を発動させながら、可能な限り自分の感情を抑えなければなりません。そういうインタビュアとしての軸をしっかり握って向き合えば、たいがいの取材は上手くいきます。
でもねぇ、というところはありますね。同世代であれば、言わずもがな的な共有意識につい甘えたりするし、見たり聞いたりしてきたものがまるで違う若い人には、絶対に媚びないからなと変な敵対心が芽生えたり。
ただ、そうした感情が生まれてしまうのが僕という聞き手であれば、発生自体を止めるよりは、生まれたものに気付きながら適当に付き合っていくほうが、たぶん自然じゃないかと思うのです。だから場合によっては頃合いを見計らって、「実はね」と自分の感情を吐露したりします。そこは手練れっぽい口八丁手八丁風の技として。しかし今時は口八丁手八丁なんて慣用句、誰も使いませんね。ゆえにインタビューでは封印ですが。
30歳の音楽家は、何というか衒いなさの反作用を巧みに生かすような、刺激的な歌詞を発表することで知られているんですね。そのせいか、彼のちょうど倍の年齢の僕ですら、「なぜその歳でそんなことが悟れるんだ?」と驚かされる楽曲があります。その脅威、やはりタイミングを計ってつぶやいてみたんです。すると、同意と受け止められる「ああ」という感嘆詞を吐き出した後、書けないことまで話してくれました。気を許してくれたよろこびを感じます。同時に、書けないじゃんと悔やむ気持ちも込み上げてきます。
何が言いたいかというと、この仕事はいつまで経ってもエキサイティングということです。

軽井沢の雲。避暑地的な雲なんだろうか。

腹をさする癖

お話を聞いたのは、オリンピック出場経験も豊富な元アスリート。引退と同時に始めた事業が間もなく30周年を迎えるそうなので、競技者より経営者としてのキャリアのほうが長くなりそうだと笑っておられました。僕と同世代なので、個人的な興味もあってこんなことをたずねてみたのです。そこそこの年齢となり、心掛けていることは?
「サイズですね、服の。着たいものを着られるような日々の過ごし方、特に代謝がめっきり落ちてきているので、そこは常に注意しています」
この回答、経営哲学を聞きたかったビジネス系メディアだったら、何を言わんとしているのか理解に苦しむかもしれません。でも、僕はわかる。というか、僕なりに共感できるところはある。
要はフットワークの問題です。年齢や立場にふんぞり返らず、何かあれば自分から動ける体の軽さを保つこと。それを叶えておけば、着たい服が着られる体型も維持できると、そういう解釈が正しいと思います。合ってるかな?
元アスリートとは言え、年波は誰にも等しく押し寄せます。となれば、若い頃のように何を食べてもすべてをエネルギーに代えられなくなり、あって欲しくないものが体のあちこちに溜まっていく傾向も、過去の経歴に関係なく誰もが直面する現実です。だからね、同世代としては彼の発言の真意がわかるの。
さて、直面する事態にどう向き合うか? ひとつの対応策は、事態を無視ではないでしょうか。それを問題としなければ、体のシルエットなど気にせず食べたいように食べ、飲みたいように飲む。そして年相応の恰幅を湛えればいい。いかに健康診断で引っ掛かろうと。そういう自由さを僕は否定しません。きっと楽だから。
対して、それを問題としてしまえば対策を講じなければならなくなります。食事の内容や量に気を遣い、少しでも代謝のよい肉体になるためのトレーニングを課す。だらしなくなる肉体と競争するみたいにして。
僕は後者に挙手を。文字通りの個人事業主としては、自分のフットワークの軽さは警察官の警棒と同じで、それなくして自らの治安を守れなくなります。それにおっしゃられたように、着たい服が着られない自分とは、まだ出会いたくない。
最近気づいたんですが、食事をした後や、あるいは運動後に腹をさする癖がつきました。オレはまだ大丈夫かと、何気に心配しているのでしょう。この世代になると自らを律することがこんなに増えるなんて、若いときには想像もできませんでした、よね?

旧碓氷峠の通称めがね橋。ずいぶん華奢に見えるけれど、かつて鉄道を走らせていたそうな。

 

似合うことを祈っています

書くことに困ったなら頼ればいいじゃないか! 今日は何の日? 洋服記念日だそうです。明治五年十一月十二日、本日から礼服は洋服を採用すると太政官が布告。これひとつ取っても、当時の明治政府が近代化というより西洋化に躍起になっていたことがうかがわれますね。
ずいぶん前、お仕事でアメリカ大使館の中に入れてもらったとき、いわゆる幕末に撮られた写真を見ました。前列は羽織袴でちょんまげの武士たち。後列は軍服姿のアメリカ人たち。その体格差は、まさに子供と大人。いかに昔とは言え、平均身長で優に20センチは違う事実を見せつけられて、もはや苦笑するしかなかったです。
その写真に写っていた武士たちが誰かはわからなかったけれど、彼らのような当時の日本人が洋服を着るようになったのは確かでしょう。こんなこと言ったら申し訳ないけれど、かなり似合わなかったと思います。何しろ洋服を着こなせる体型ではなかったはずだしね。
その布告からちょうど150年の今日現在。僕らは洋服しか着なくなりました。ですが、洋服という言葉が本来持っていた海外文化の象徴性は、すでに形骸化したというか、ほぼ意味をなしていませんよね。そこまで違和感を失くしたのは、日本人に合う洋服を導き出していった日本人の発明と言えるかもしれません。一方では、伝統文化のシンボルである着物=和服を身につけることに違和感を覚える結末を迎えたわけだけど、生活様式が大きく変わってきたのだから、それもむべなるかなです。僕にしたって、明日にでも和装をまとえと言われたら、やっぱりどうしようもなく困惑するだろうし。
実は訳あって、久しぶりにセミオーダーでスーツをつくりました。その採寸の際、件のアメリカ大使館の写真を思い出したのです。写真を撮られるだけでも不慣れだったはずながら、それでも必死で胸を張っていた武士たちが初めて洋服に袖を通したとき、どんな気持ちだったんだろうと。なので今は、来週末に届く予定のそれが僕に似合うことを祈っています。

ギターに囲まれるお仕事。アガるぅ! セミアコ、欲しいなあ。