食料品や生活用品を中心に今日から値上げが行われると、昨日あたりはあちこちのメディアが取り上げていました。聞くところによると、6000品目以上が価格改定を実施するそうな。それだけ束になって来られると、もはや逃げ場がなくなりますね。僕も生活者の一人ですから、買い物などしていて「10月1日から値段が変わります」という張り紙を目にすると、小さな溜息をつかざるを得ません。ビールも上がっちゃうし。
その一方で、僕の町の小さなスーパーマーケットも、コロナや戦争や原油高や円安などが引き起こしたこの世界の混沌の一部に属しているんだなあと、妙な感慨を覚えたりもします。
そんなふうに、図らずも呑気な雰囲気を漂わせると、何だか余裕がありそうに聞こえてしまうかもしれません。そうではないんです。単純に生活のスキルが低いだけ。家計を預かることに強い責任を感じている方なら、予告日の前からせっせと買い溜めするなど、相応の準備をするのでしょう。そのあたり僕は典型的なキリギリス性質だから、世相などどこ吹く風と気楽に構えているうちに、緩やかな死に向かって人知れず枯れ果てていくんだろうな。ビール、まとめ買いしとけばよかったかな。
消費者にとって値上げの忌々しさは、「同じものなのに昨日と今日で値段が違う!」に尽きるのではないでしょうか。対して生産者は、「少しでも高く売りたい!」という当然の思いがあります。ただし生産者が我を押し出せば消費者に嫌われるし、ましてや値上げで迷惑をかけるのを心苦しく感じてもいるようです。
「そりゃもう苦渋の判断ですよ」と、輸入ギターを扱う楽器店の仕事仲間は、なぜか大泉洋風の口調で話しました。そのほうがボヤきやすいらしい。価格が上がれば敬遠されるのは百も承知。しかし円安を相殺する手段もない。「コロナが落ち着いたと思ったら、ねぇ」と、モノマネはぜんぜん似てなかったけれど、切実さだけは伝わってきました。芳しくない諸事情が束になって襲ってきたときは、一時退却で様子を見るしかないかもしれませんね。キリギリス的曖昧な見解ですみません。
私事ですが、今日は母親の88歳の誕生日です。還暦の長男に米寿の母親。なかなかのもんですね。年金生活の母親は消費者の側面しか持っていませんが、今日も元気という結果を生産してくれるなら、何というか、まぁイーブンなんだろうと思います。
路傍に健気な遅咲きの向日葵。応援したい。