その23/松見坂交差点あたり、『ボラーチョ』の「生牡蠣」
今日は、いつになく書き出しがステキです。
なぜか切ない感じです。
やはり、なかなか愛しいエピソードです。
毎年、冷たい北風が吹き始めると、僕はトコトコと坂を上る。
道玄坂を登り詰めて、それでもまだ、まっすぐに登って行く。
淡島通りに入ってほんのちょい、懐かしいネオンが僕を誘う。
『ボラーチョ』はスペイン語で「酔っぱらった」っていう意味。
深夜まで開いていて、ついついまたワインを飲んでしまう、
ここにはホントぴったりの名前だ。いちばん最初に来た頃、
僕はまだ20代だった。ってことは、もう20年以上も前の話だ。
「こんばんわ!」微笑んでいるママの顔が生牡蠣に見える。
そのくらい、ここで生牡蠣を食べまくり、それでも飽き足らず、
牡蠣グラタンや、牡蠣ピザまでを平らげることさえあった。
もちろん、水みたいにキャンティーのワインが空いて行く。
あれはちょうど10年前の金曜日、『ボラーチョ』が大好きだった
女友達のヒロミが脳梗塞で倒れた。まだ38歳だった。
飲んで、飲んで、焼き肉食べて、一人暮らしの家に帰宅。
次の月曜夜、彼女には有り得ない無断欠勤を不思議に思い、
当時のボスと僕ら、飲み仲間が千葉の実家を捜し当てた。
やっとお母さんが鍵を開けた水曜日、ヒロミは冷たかった。
解剖の結果、死んだのは月曜の夜だと判明。悔しかった。
誰にも助けを呼べず、もがいていたヒロミのことを憶った。
通夜の夜、僕らは全員で千葉から『ボラーチョ』に直行!
とにかく食った、食った。ポークカツレツにビーフステーキ、
エスカルゴに、マッシュルーム・ガーリックに、なすグラタン。
カニコロッケも、タンシチューも、なんでも食いまくった。
それは、脳梗塞で死んだヒロミへの、僕らの弔い合戦だった。
あれから10年、ヒロミが生きていたら年女だった亥年に、
僕は牡蠣の本場、広島女と今日はタクシーで坂を上った。
とりあえずは生牡蠣! 写真は、正真正銘の二人前ちょうど。
このボリューム、そしてクセになるカクテルソースの味わい。
一気に食いつつ、キャンティーを喉にぐいぐいと流し込んで行く。
アルコールが心に沁みてくると、ついついヒロミを思い出す。
僕はあと何回、こうしてガツガツと生牡蠣を食べれるんだろう。
目の前では広島デザイナーが嬉々として、貝を咀嚼している。
ここに初めて来た頃、僕は明日なんて永遠に続くと思っていた…。
感傷に耽っていると甘い声が、「エスカルゴ、来ましたよぉー」
時を止めた人のことを思うと、なぜか自分のほうが置いてきぼりにされたような気持ちになりませんか? 僕は、そうです。(T.T.)

それぞれの「引き出し」を
つくっているのはこんなひとたちです。