その25/神保町鈴蘭通りあたり、『スヰートポーヅ』の「焼餃子」
実はけっこうディープな匂いを残す神田神保町は、
餃子の故郷でもあった!?
前身は昭和7年からやっているお店をご紹介です。
世界一の古本街、神田神保町にはもうひとつの顔がある。
実は神保町は、日本における本格的な餃子の故郷なのだ。
昔、僕が九段で大学生だった頃には、『おけい』と、
ここ『スヰートポーヅ』、代表店がすぐご近所だった。
やがて地上げの波の中、『おけい』は飯田橋へ移転。
引越と改装の休業期間に、いつも入り口でお会計をしていた、
名物女将のおけいさんは、いつのまにか亡くなっていた。
同じ頃、地上げでビルになったランチョンの名物親父も、
改装期間が終わると、ビールサーバーの後ろの絵の中に、
ドナ・サマーやサッチモと一緒に大人しく収まっていた。
いつのまにかビルが建ち並ぶ神保町。しかし、ひとつ裏手、
鈴蘭通りはほとんど昔のままの佇まいを残している。
『スヰートポーヅ』のメニューは、餃子と包子(ポーヅ)のみ。
餃子には焼餃子と水餃子があり、大きさが大中小と選べる。
だから、ランチを少しはずせばビールと餃子の黄金時間だ。
ここの餃子は、両端が開いたままになっている不思議な形。
皮はもっちりでなく、さっぱりの大陸そのまんまの感触だ。
中の具もあっさりしているから、ラー油よりカラシが合う。
昭和7年、前身の食堂『満州』が開かれた頃、客は本国の人。
日本人にはまだまだ、餃子を食べる習慣はなかったという。
だが、昭和30年代に再開して、今の名前になってからは、
狭い店内は常に相席、行列が途切れることがない繁盛ぶり。
一体いつ頃から、餃子は国民食の仲間入りをしたのだろう。
大陸の引揚者が多かった九州の海辺の街で育った僕にとって、
餃子はモツと共に、ソウルフードのひとつとして欠かせない。
紹興酒や老酒、ワインでもビールでも、アテとしてこの上なし。
しかし、時々、ご飯にだけは合わない餃子というのがあるが、
その点『スヰートポーヅ』は、おかずとしても最高峰だ。
僕はまだ、ここよりお米に合う餃子を食べたことがない。
味噌汁付きは「餃子定食」、味噌汁なしは「餃子ライス」。
そろそろビールは切り上げて、お米と餃子のマリアージュを。
餃子、好きだなあ。カレーと双璧だなあ。白いごはんに合うからかなあ。(T.T.)

それぞれの「引き出し」を
つくっているのはこんなひとたちです。