その53/中華街延平門あたり、『天龍菜館』の「鎮江炸肉排」
世界各地の都市に溶け込んでいる中華街。
活気と同席する怪しげな空気。そこは魔界の入り口か?
今日はおなじみ横浜のチャイナタウンから。
本来、チャイナタウンはデートの類いには無縁の場所だ。
どこかに死体の足が覗いていそうな、暗いモヤシのプール、
マンハッタンのチャイナタウンでトイレに行くときには、
誰もがふと『イヤーズ・オブ・ザ・ドラゴン』を思い出し、
つい周りに気を付けながら急いで用を足したはずだ。
ホノルルのチャイナタウンでは、眩し過ぎる陽射しの下、
店の前で失禁しているホームレスが通行人に毒づいていた。
ロンドンでも、シドニーでも、そこは異界の入り口だった。
建物の陰から朽ち果てた廃墟が覗くパリのチャイナタウン、
中国とベトナムが分かち難く交差しているマーケットで、
ホームパーティーのための食材を探し回っていると、
ニョクマムか、ナンプラーか、煮込まれた羊の肉か、
強烈な刺激臭が意識の底を揺さぶり、通り過ぎた。
見ると、ベトナムか中国とフランスの混血の少女、
東洋と西洋の長所をすべて兼ね備えたアオザイがいた。
古今東西、チャイナタウンは人を狂わす何かがある。
一説では世界最大と言われる横浜のチャイナタウンは、
甘栗や肉まんを試食しながら善男善女がデートに出かける、
世界でももっともいかがわしさがない、もしくは表に見えない、
ファミリーな、観光地的な、恐くない中華街かもしれない。
しかし、石川町駅そばにつくられた小さな中華門をくぐって、
中華街の西の守り、延平門を通り過ぎ善隣門に至るまで、
つまり、一般的な中華街の繁華が始まるまでの道には、
ゲットーな、本来のチャイナタウンの闇が満ちている。
学校などの公共施設が終わり、最初の大きな店舗は、
小綺麗な中華茶の専門店、その左に曲がる人は少ない。
昼間から白乾児(パイカル)に酔う老人が座る小さな通り、
無造作に集積された残飯のヴィニール、空きビン……。
その途中に「絶対にはまります」と赤く手書きされた、
小さな店らしきものが見つかる、広東家郷料理の文字、
赤いペンキで硝子戸に書かれた店のプレゼンテーション。
それこそが中華街一の名店、『天龍菜館』の入り口だ。
四坪に満たない店の左側の壁はシャッターそのまま、
つまり、店舗はお茶屋のビルのガレージに立地している。
おまけに、ガランとした店には人の気配さえ皆無だ。
入り口のインターホンに気づき、来店を告げると、
三階の厨房から店の主人、82歳の鄭さんが降りてくる。
食べたいもの、予算を告げると、再び鄭さんは階上へ。
やがて、外階段を降り、皿を抱えた鄭さんが表から登場。
今日の口開けは「鎮江炸肉排」、黒酢の酢豚と醉鶏からだ。
酢豚は一切の野菜などは入らず豚だけ、黒酢の風味と
絶妙の味付け、揚げ加減で、いくらでも食べられる。
醉鶏、通称酔っぱらい鶏は糟鹵(ザオルー)と老酒に
鶏をつけ込んだもの、鶏の旨味が口中に広がっていく。
壁に並べられた紹興酒はセルフで1000円アンダー、
次から次へと運ばれる料理の総額は高くても3000円。
「おなかいっぱいになったかい」、鄭さんの台詞に
ご馳走さまの意を告げるまで続く広東料理の真髄。
一流料亭のあの女将に、この誠意を学んで欲しい。
中華街って、どこも迷路みたいなんですよね。本当に旨いものは、そういう怪しい場所で探し当てるものなだろうなあ。(T.T.)

それぞれの「引き出し」を
つくっているのはこんなひとたちです。