その80/飯田橋警察病院あたり、『おけい』の「レバー唐揚」

九段下の駅を降りたら青白い三日月が出ていた。
たった一人で、東京の夜に出た最初の日だ。
田舎では入口とか出口とか意識したことはない。
でも、適当に降りた出口の周りはがらんとして
下見に行くはずの大学なんてどこにもない。
早々と諦めた僕はトコトコと神保町を目指した。
色っぽい本で有名な芳賀書店を過ぎると、
路地の奥に餃子と書かれた店が見えた。
あれが、『おけい』の扉を開けた最初の夜。
僕はまだ10代で、髪は肩まであったし、
買ったばかりのベルボトムを履いていた。
二階建ての民家みたいな餃子屋は、
入るとすぐ着物姿の女将さんが座っていた。
厨房をガラスで囲んだカウンターには、
グリーンが置いてあり、みんな飲んでいた。
迷った末に老酒と餃子を頼み、食べ始めた。
隣りに座っていたカップルが気さくで、
餃子の小皿にどんどんアテをくれた。
どれも、これも、美味しかったが
忘れられないメニューは「レバーの唐揚」。
外側はカラリ、内側は程よくジューシー。
今度来たら絶対に一人前食べようと思った。
もちろん、普通のレバニラも絶品だった。
素揚げされたレバーと半生のニラを
ささっと和えたレバニラなんて初めて。
生まれて初めての、東京一人デビューは
『おけい』との出会いから幸福に始まった。
あれから兵六、いもや、ランチョン、
共栄堂のスマトラカレー、VANカレー、
ラドリオ、ミロンガ、サボールと、
毎日のように九段下から神保町まで通った。
その後、嵐のような地上げブームが始まり、
『おけい』もランチョンもビルに変わる。
ランチョンは、その場所のビルに入り、
『おけい』は飯田橋まで引っ越した。

そして、半年程の休業期間が終わると、
おけいさんも、ランチョンの先代も、
もう店で出会うことはできなくなった。
店に立つことが生き甲斐だった2人は
古き佳き神保町の歴史に自分を重ねた。
だから、名物の餃子を口に運ぶ度に
僕は常温の老酒を胸の中で献杯する。
10代、20代、30代、40代、50代。
いつも美味しいアテをごちそうさま。
おけいさん、天国でも和服ですか?
最近、巷は辣油がブームらしいよ…。

それぞれの「引き出し」を
つくっているのはこんなひとたちです。