田村十七男 Tamura Tonao

「十七人兄弟なの?」とか、よく言われます。僕の名前の話です。
しかし、もはや一夫多妻制が認められる時代じゃないし、ウチの親たちがそこまで頑張れたはずもないし。一個上の兄貴は十六男で、一個下の妹は十八子か? それは何と読むんだ? って、ねぇ。そんなに単純な命名があるかって話ですが、十七という数字の由来は、実は誕生日です。1962年9月17日生まれ。そう話すと、えらくがっかりされることも少なくありません。

「寅年のトラが訛ったんじゃないの?」と推測してくれる方もいますが、僕にもよくわからないんです。なぜなら、命名者は親ではなく、父の師匠だったから。

僕の父親は、かつて小説家を目指していました。新聞の小説懸賞応募で特選か何かに選らばれて、それなりに才能はあったかもしれないんだけど、いまとは時代がまったく違ったようで、僕が生まれるのを境に、その世界から足を洗ったそうです。
その父が若いころ、田舎を飛び出し、書生のような形で弟子入りしたのが、伊馬春部という作家でした。太宰治とも交流のあった人です。

僕はその風変わりなペンネームを持った名付け親に会ってみたいと思っていました。けれど、どういう経緯や決意があったのか、父親はかつて自分が志した世界に関して話すのを避け、それになんとなく気づいていた僕は、だから深くたずねることはしませんでした。

22歳になる1984年の3月、伊馬春部さんは亡くなりました。そうして僕の命名理由も、大げさに言えば向こう岸へ。もう少し父親を追及してもよかったんだけど、それも今となっては叶わない。

ここでこういう文章を書こうと思い、ふと気づいてインターネットで伊馬春部さんを検索したら、ちゃんと出てきました。日本のテレビ創世記に脚本家として活躍されたんですね。お顔もはじめて拝見しました。

妙に納得しちゃったのが、「ユーモア作家」という肩書き。意味がありそうでなさそうな名前をひねり出すには、もっともな才能をお持ちだったようです。姓名判断があるように、名前が人生の大半を方向付けるものであるとするなら、そうして僕の生き方は最初から“そっち方向”へと導かれていたんだなあと。なんかおかしいですね。

おかしいと言えば、伊馬春部さんの命日。これが奇しくも17日。やっぱり会ってみたかったなあ。

不思議な縁を感じつつ、物書きをやってます。小説家にはなれそうもないけど、文字を軸にした生業がずっと続けられたらいいなと思っています。







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