運転中の過失なのか、それを越えるものなのか、果たしてどんな罪で
問えばいいかわからないクルマに関する恐ろしい事件が起こると、
テレビのワイドショーあたりは「いかにトラブルに巻き込まれないか」
について長い時間を割くようになります。そりゃそうですね。
視聴者の大半は、他車の進行を暴力的に妨げない善良な市民ですから。
でも、どうなんだろう? 普通の人々の中にも
容易く着火する怒りの火種が眠っていたりしないだろうか。
正直に言います。できるだけ冷静に穏便に、自ら引くことで交通事故を
避けるよう心掛けている僕でも「なんでそんなにチンタラなのよ」とか
「そこでいきなり止まる?」などと、憤ったりします。
時には、そういうちょっとイラッとくるクルマのドライバーの顔を
ちらっと見たりもします。さらに付け加えれば某事件の加害者は
いかにも極悪人と言わんばかりに交通違反多数と報じられました。
免許取得37年が経とうとする僕も幾多の違反をしています。
一度くらいは免停もありました。こうなると完全な極悪人です。
だから余程のことがあれば、僕だって誰かを無意味にあおって
見当違いな懲らしめ気分を味わおうとするのかも......。
いや、しませんね。なぜなら、その顛末がどういう事態を引き起こすか
クリアに想像できるから。ましてやそんなことする自分を必ず恥じるから。
クルマは身体の拡張装置だと語る人がいます。
生身ではたどり着けない距離と速度を与えてくれることが理由です。
その魅力に憑りつかれ、精神からリアルな身体性が排除されると、
簡単に人を殺められる武器の行使を許された
門番のような気持ちが沸き上がってしまうのかもしれません。
そんな自分が何かのきっかけで顔を出すかもしれない。
そう考えたときの恐怖を忘れずにいれば、
クルマはただの平和な道具でいられるのにと、そんなふうに思います。

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