ホノルルマラソン リアルリポート(11)

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解放、という名のゴール


ダイヤモンドヘッドを下り切る。平地になる。左に続いて右。いや、逆だったろうか? ゆるやかなカーブを道なりに進み、とうとう最後の直線に入る。
長かった。辛かった。この文章も去年の12月から書き続けている。それでも、あの痛みは忘れない。

それにしてもマラソンというのは不思議なもので、本当の意味ではゴール直前で死力を振り絞ったりしないのである。それが生き物の本能なのか、ただ単純にペース配分が下手なのか、残り1キロともなると、さっきまで足を引きずり疲労にうんざりしていた集団に活気がみなぎるのである。マラソンが孤独なレースというのは、真の才能を持ったアスリートに限った話かもしれない。
とは言え、団体競技でもない。集団競技だ。少なくとも僕がいた5時間台のゾーンでは、そういう様相だった。
そうしてフィニッシュゲートが設けられたカピオラニ公園に入ったところで、最後のマラソンが再開するのだ。

でも、実際は“走っている”というものでなかったと思う。足が棒になると言うが、腰に二本の丸太を差し込んだような状態で、動きは出来損ないのロボットそのもの。腕を振る反動でその木偶の棒を左右交互に投げ出しながら、かろうじていくらか速度のある二足歩行を成し得ていた。

不幸なことに、フィニッシュゲートに続く直線の沿道には、ホノルルマラソン全コース中もっとも大勢のギャラリーが集まっていた。ええカッコしいで見栄っ張りの僕は、だからここで止まることもできず、ネジがいかれたロボット状態をさらし続けなければならない。
これが世界記録を打ち破るような可能性を秘めているならともかく、初のフルマラソンでは非凡中の非凡な5時間台後半の記録で、そんな醜態もないだろう。しかも、ひとまずそれなりに数ヶ月間の準備をしてきたというのに。

「がんばれ、ホノルル部!」
沿道から声がかかる。フルマラソン挑戦記を載せた『ランニング・スタイル』誌の人気は大したものだ。それはよろこばしいが、こんなときにはできたら放っておいてほしい。
なのに、つい笑顔を見せてしまう自分の性が痛い。


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それにしても最後の直線はあまりに長い。ちっともゲートが現われない。1キロ近くあったんじゃないだろうか。感動のゴールの演出かもしれないが、僕にはただの意地悪にしか思えなかった。

ようやく見えたコの字型の白い枠。上部にデジタル時計が備わっている。6時間をわずかに回ったところ。クツの甲にくくりつけた電子チップがゲート真下のカーペットに隠れているはずのセンサーを横切る。

解放。

僕の頭に浮かんだ言葉。耐え難く涙がこぼれるような感動も、音を立ててシフトする新たな人生感もそこにはなく、ただただ、解放だった。

地元の少年少女が貝のネックレスをかけてくれるテントを通過し、地面を盛大に濡らすシャワーブースへ。霧のような細かい粒子の水を浴びたとき、悔しさがこみ上げてきた。真っ青な空にミストシャワー。苦渋とはあまりに不釣合いな状況で悔恨の念に苛まれるなんて予想もしなかった。それじゃ何も救われないとも思う。自分のみっともなさが、水滴にまぎれて体に染み込んでいくようだった。
でも、その悔しさは、僕のはじめてのホノルルマラソンで、これ以上なく純度の高いリアルな感情だったのだ。


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(写真協力:ランニング・スタイル)


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