保守的ランナーの些細な憂鬱

自分という人間はたぶん保守的で、実はあまり冒険が得意ではない、という結論を、
たとえばランニングからでも導き出せるのです。僕はいつも同じコースを走る......。
ランナーの中には、いろんな景色を楽しみたいから走る場所はいつも違うという人が
けっこういらっしゃいます。ふむ、それは確かに楽しいかもしれない。
でも僕にはそれができない。なぜか決めたがる。じゃそれはつまらないかというと
そうでもなくて、いつもと同じコースいつもと(だいたい)同じ距離、
つまり変わり映えのしない景色だからこそ見える些細な変化もあって、
僕はそれを発見すべくきょろきょろしながら走るのが好きみたいです。
明るいランナーとは言えないだろうけど。

先日の夕方、ある公園の中にある歴史的人物のお墓を囲む石垣の植え込みに、
4、5人の老人が集まっていました。どことなくひそひそした感じで。
でもって公園内の周遊路をもう1周してくると、今度は先ほどの場所の手間で
同じグループと遭遇した。野良猫にエサをあげてるんです。
ひとりのおじいさんは、かなり慣れている猫のノドなんかさすってる。
社会モラル的には野良猫に餌付けしちゃいけないんですよね。
そう言えばこの前のニュースでは野生の熊がひもじそうだったからエサをあげた
なんて話題もあって、野良猫が野生動物かはさておき、異なる生物同士の境界線が
曖昧になると何かと問題が起きるわけです。
しかし、あの夕闇の老人たちに「ダメですよ」と僕は言えないな。
社会正義に忠実な団体からは、「だからアンタは」とその老人より先に激しく
避難されそうだけど、やっぱり言えない。言えない自分の立場って何だろうなあ、
とか、そんなことを考えて走っているんです。
いつもと同じ景色の些細な変化とは、そういうことも含まれます。