慶応3年

今日は坂本龍馬の誕生日であり、命日でもあります。
生を授かったのが天保6年。落命したのは慶応3年の、それぞれ11月15日。
いえ、知ってますよ。現在の暦に直せば1836年1月3日と1867年12月10日ですよね。
けれど刷り込まれた記述というのはなかなか修正できず、
毎年11月15日になると龍馬の名前が頭に浮かぶわけです。

二十歳のとき、京都の東山、霊山にある龍馬の墓にひとりで行きました。
その墓石に刻まれた彼の名を確かめて、本当に居た人なんだという実感が沸きました。
そして墓を背に街を見下ろして、これが龍馬さんたちのつくりたかった時代なのかと、
少し憂いを帯びた感慨を抱きました。同じような衝動的感情は、たとえばこの前見た
映画『永遠の0』の中でも表現されています。
特攻で命を落とした祖父に向け、現代に生きる孫が今を見渡して、
それまでに感じることのなかった憤りを覚える。

自らを振り返りつついささかの皮肉をこめれば、一種の青い正義感、
あるいはヒロイズムみたいなエモーションです。若さゆえですね。それはそれで大事。
けれどそうした感情は、幕末や戦時中とは比較にならないほど豊かな時代に
生きている者だから抱けるものかもしれません。
およそ食べ物に困らないし、病気になっても近所に病院がある。
なにより刀を抜いたり戦闘を強いられるような命の危機もない。
それがどんなに素晴らしいか、僕らは忘れている。というより知らないんです。
知らなくていいことだけど、でもかつてこの国には「じゃ明日ね」と
気軽に約束できないような時代があった。その上に今の時代がある。
覚えておくべきはそれですね。
そして、物質的に豊かになってもそれだけじゃ人は幸せになれないことを悟った僕らは
では次にどんな時代を迎えればいいか考える。考えて行動する。
憂いでばかりじゃ仕方ないだろって話ですね。

なんて大仰なことをいつも念頭に置くと息苦しくなります。
なので龍馬さんの命日くらいは、ってね。
しかしぐんと冷えました。京都も寒いんだろうなあ。