許す・赦す

「罪を憎んで人を憎まず」という諺には様々な解釈があるようですが、
およそ「許す・赦す」という行為または心情を示しているととらえていいと思うのです。
大事な人を傷つけられたり、あるいは奪い去るような罪であれば、
憎悪は罪だけに留まらなくなるでしょう。
ただ、おおむね誰も傷つかない罪であればこの諺を存分に生かすべきです。
でないと、一度の過ちを許せない、
罪を犯した人をまったく救えない世の中になってしまうような気がするんですね。
STAP細胞の報道に触れてそんなことを考えました。

よくわからないけど希望の種みたいなものが見つかったと聞き、
それはすごいとみんなで煽て持ち上げて、それが本当はなかったとわかると
言いだしっぺを執拗に追い回して何かを聞き出そうとする。
上出来な、または不愉快な寓話みたいです。
何が知りたいんだろう? 
仮に謝罪の言葉が聞けたとしたら、それが何を満たすのだろう? 

そんな罪も人も憎むような、あまりに意地悪な風潮をつくったのは
すべてマスコミの責任だと言い切ることもできます。
けれど、報道を見て一喜一憂している自分には初めから人を憎まない気持ちが
あったのだろうかと、そんなふうに省みてしまうところもあります。
でも何というかこういう事件が起きると、改ざんや故意や捏造というような
言葉=表層に対する怒りではなく、もっと根の深いところで生まれた
渦巻くような気分に僕らは常に支配されてしまいますね。
そんな中で赦す気持ちをどう伝えたらいいだろうと、今はそんなことを考えています。