小説家にはなれない

「小説は書かないんですか?」なんて驚くような質問をされることがままあります。
いやまったく畏れ多いことを聞くもんだとドキドキしちゃうのですが、それはたぶん、
何かを書く仕事で世間的にもっともわかりやすいのが小説家だからなんでしょうね。
小説かあ。きっと無理です。それっぽいものなら1冊くらい書けるかもしれないけど、
やっぱり偽物にしかならないだろうな。
自身の経験やリサーチを元にしつつ、登場人物の名前をつくり、語らせ、
その上で読み手の興味を最後のページまで持続させる物語。
それはね、想像をはるかに超えたモチベーションというか、
書かずにおけない衝動みたいなものがないとつくれないと思うのです。
あるいは一度なら誰の人生にもそういうドライブ感が芽生えるかもしれませんが、
小説家として商業的連続性を維持するのは何か特別な才能や努力が欠かせません。
僕の感性や能力はそこではなく、実在する人物に話を聞き、
言葉を預かり、記事にすることに向かっている、というかそれしかできない。
父親は小説家を目指していました。そのために書生となり、新聞の応募に自作を送り、
賞を取ったこともあったそうです。しかし、挫折した。
「懸賞作家はダメなんだ」が口癖だったなあ。でも本当は、食えなかったから。
父親の時代に物書きで生計を立てるなら、小説家以外の道はほぼ皆無なんですね。
けれど今は、雑誌やウェブといったメディアの数が多いのでそれなりに暮らせます。
その中途半端さが父親に申し訳なくて、小説家を目指すなどと言えない部分もあるかな。
いや、本質的な才能の問題だな。
そんなわけで昨日も今日も明日も人の話を聞いて原稿を書きますが、「オフレコね」と
注釈つきのきわどいがゆえにおもしろいエピソードを書けないってのが辛くてねぇ。
小説なら名前や状況を変えて書けるんだろうと思うと、ちょっと悔しいですねぇ。