母親の思い出話

母親が語って聞かせてくれた、物心つくかつかないかの頃の思い出は、
妙に鮮明な映像となって記憶されています。でも、あまりに鮮やかすぎて、
本当に自分の目で見たものなのか、かなり怪しかったりします。たとえばこんな話。
僕が3歳くらいのときに住んでいた家の裏には国鉄が通っていて、
当時は電車に混じってまだSLが走っていたという。
もうもうと煙を上げて走る黒い塊が迫ってくると、僕と弟は線路脇に駆け寄り
大きく手を振り、それはほとんど日課だったから車掌さんも僕らを知っていて、
お菓子を詰めた袋をよく放ってくれたそうな。
昭和の牧歌的な日常の断片でしょ。なのよ、自分でもあまりに素敵すぎるエピソードだと
感じていて、その話を何度も反芻するうちに、
記憶の映像には走り去るSLに手を振る自分と弟の姿が焼き込まれてしまいました。
中学生になってから調べたら、確かにその時代その路線にはSLが走っていた。
そうして事実が上書きされたもんだから、記憶の変更ができなくなりました。
まぁ、今となってはどっちでもいいんですけどね。
ふむ、母親はこの思い出話を覚えているんだろうか?
お昼前あたり、ランニングコースの途中にある池の公園に入ると、
ベビーカーを押したお母さんたちとすれ違います。ベンチには妊婦さんもいます。
母と子供では視線も、そして記憶もきっと異なる。後でどんな話をするのかなあ。
とかね、そんなことを考える自分の善人性に息を切らしながら走っているのです。