5年後の心配

東京オリンピックのロゴデザインに関する一件は、
想像を超える範囲まで広がり、ひどく戸惑っています。
いろいろ考えます。
抽象的なところでは、世間というものの意地悪さ。
個人が攻撃目標になった途端、一気に攻め入る容赦なき冷徹さには恐ろしさを感じます。
また、個人が目標になると、関係のあった組織や団体が擁護を控え、
口をつぐみ始める狡さも怖いです。それ以上に恐怖なのは、
おそらく懸命に働いてきたひとりの人間がこういう形で非難されてしまうと、
あまりに簡単にあっけなく社会に抹殺されてしまうこと。
匿名性に守られた公明正大は、事実確認というテーブルマナーなどお構いなしに、
ただただ餌食を見つけてはかぶりつくだけなのだろうか。
食べ散らかした後のことなど誰も気に留めないのだろうか。
さらに踏み込んで考えてみました。
今回は少なからず縁のあった人が渦中に放り込まれてしまったけれど、
もしまるで知らない他人が同じ状況に陥ったとき、
僕は世間や社会という好奇心と無関心のバランスを失った大きな渦に飲み込まれず、
ひとり冷静な判断を下せるだろうかと。
この世で起きることのほとんどは後者に属するわけだし。
いずれにせよ、今回の件はとても胸が苦しい。
5年後の開幕を素直によろこべるか、そこまで心配しています。

オオフチさんの『NYほかけ舟』更新。昭和20年代への思いが語られます。