第三者的

昨日ここでの最後の行に、第三者委員会という言葉を使いました。
第三者。当事者以外の人。あるいはその事柄に無関係な人。
類義語には、野次馬、外野があります。
そうだね。当事者じゃなければ好き勝手に言える。
あれこれ悩んだ末に見つけた答えのようなものについて話す相手に向けて、
じゃ本当は何がしたいの? とか平気で口にできちゃう。
しかも、相手の悩みの根にズバリと矢を突き刺したような優越感に浸ったりしながら。
冷静さを装える自分に満足。だとしたら第三者はダサさを極めた当事者ですね。
何の話かといいますと、やっぱり相談されるのは苦手だなあってことです。
努めてクリアでフェアな意見を提示しようとする。
すると、相手のための答えではなく、話している自分が気持ちいい判断に向かっちゃう。
それは第三者的なのか? 野次馬を堪能するという当事者になっているじゃないのか?
てな自分にハッとするので、だから相談されるのは苦手です。
するのも苦手。というか、ほとんどしない。もしもちゃんと相談できたなら、
もっとまともな人生を生きられたのかもしれないけど、
結局のところ最初に見えた答えらしきものから逃れられず、
それでよしとする直感的安直さが、僕という当事者の特性なのです。
極めて第三者的に分析しておりますけど。