教える・教わる

池のある公園の国道側、僕の記憶では8月末に小さなヒマワリ畑が突如現れました。
どれも幼く、しかも夏の終わりなのになあと思ったんだけど、悪くはない光景でした。
けれどこの日曜日にランニングで寄ったら、ほとんど枯れてた。
その様子を眺めながら、ふと妙な妄想をしたのです。
もし僕に小さな子供がいて、その子にこの状況をどう説明するだろうかと。
子供はきっとたずねます。なぜ枯れちゃったのと。
父は推測します。8月末に続いた雨のせいだろうね。
子供は質問を重ねます。でも植物は水をもらうとよろこぶんでしょ? 
父は返します。植物には水だけではなく、お日様の光も必要なんだ。
そこから先、父は悩みます。光合成について話すべきか? 
光合成は葉っぱが光りを受けてデンプンをつくるんだっけ? 
そして酸素を生み出し、あらゆる生物の呼吸を助けてるんだっけ? 
ということはこの地上にまず植物が生まれ、動物はその後に現れたんだな? 
じゃ植物が生まれるきっかけになったのは何だ? 
水か? 水はどこからやってきて、どうやってこの星に水が定着したんだ......? 
誰かに何かを教えるということは、自分が何かを教わるということなんだなあ。
てなことを子供もいないのに想像したのでした。
ま、父が頼りない記憶をたどっているうちに、子供は興味を失っちゃうだろうけどね。
普段から教わっておかなきゃ。

オオフチさんの『NYほかけ舟』更新。70年代にあった洋食的服飾のお話し。