受動的なランニング

僕のランニングはいつも同じコースです。思い立って逆走を試して、
それはそれでおもしろかったけど、気づけば順走に戻りました。
コースを変えないのには理由があります。
自分の体調を知るためには、同じコースという基準があったほうが便利だからです。
距離感も大事です。たとえばどこかに痛みが出たなら、
今日は公園の周回を減らそうとか、様々な調整が可能になります。
それから、同じ場所を走ることで景色の変化を感じ取ることもできます。
あの家の柿の木に実がなったとか、今日は池にボートが多かったなとか、
季節の移り変わりや、それに合わせた人々の気分を、
これまた同じコースを走る自分という基準の感覚が察知するのです。
いろんなコースを走る人もいます。名コースと呼ばれる場所に出掛けて行く人もいます。
でも、同じコースを繰り返し走るほうがメリットが多いのにと僕はそう思ってきました。
ところが昨日、突然疑問が沸きました。
それってひどく受動的な保守性から生じる利己主義なんじゃないかと。
こっちは変わらない。そっちが変ってくれ。
僕が語る同じコースを走るメリットとは、要するにそういうことです。
気付いたところでペースが乱れました。オレの人生全般でそういうことになってんなと。
自ら変化を望まないんですね。現実的には変化を迫られることが多々あるけれど、
変化に対して能動的ではない。アクションとリアクション。アクティブとリアクティブ。
すべて後者というのは自分の特性というか性格です。
すべからく誰かや何かが変わってくれるからこそ今日の自分があるんだ。
これを幸運と言わずして何と言う......。
走っているときに考えていることって、そんなふうにとらえどころも脈絡もありません。
そろそろ長袖で走るべき気候になってきました。

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