危機感とプライド

リオ五輪アジア最終予選の決勝戦だけ見逃した! って、サッカーの話ですが、
2-0からの逆転優勝はニュースのダイジェストだけ見ても感動的だったな。
U-23、23歳以下の日本代表選手は谷間の世代と呼ばれていたんですってね。
彼らは年齢制限のある各年代の主要大会で目立った結果を残せなかった。
だから今回もあまり期待されていなかった。という事実を選手たちも実感していたはず。
世代のくくりは個人すれば大きなお世話だけど、世間からの見られ方はある。
それに彼らはおそらく23歳を超えてもなおサッカーを続けるだろうから、
いつまでも「谷間世代」と呼ばれたくはなかっただろう。
そこで芽生えたのが危機感だと思います。自分たちではうまく表に出せなかったものを、
見るからに人間力が分厚そうな監督が上手に加工して戦闘力に換えた。
そういう構図かもしれないね。そこで考えたんです、危機感について。
それなくして復活やリベンジが成されないとして、
それは心がボロボロになるまで傷つく現実に直面しないと得られないものなのか? 
そのためにどんな犠牲を払わなければならないのか? 
戦争や災害を引き合いにだすのは不適当ですけど、大勢の人間が共有できる危機感は、
やはりとんでもなく破滅的な事態の末に抱けるものかもしれません。
でも、それじゃあんまりですよね。
だとすれば、少なくとも個として未来を変えるための危機感はいかにして持てばいいか、
そこが大事です。う~む、難しい話になっちゃったな。
おそらくは、今のオレは大丈夫か? と常に疑うことから始めればいいと思うけど。
そこはプライドの問題ですね。