前のめりの共有感

「仕事でどんな人に会うの?」とたずねられる機会が多いことは前にも書きました。
たずねた人が期待するような、いわゆる有名人にインタビューする機会は
さして多くないので、望まれる答えが返せないことも何度か書きました。
ぶっちゃけると、どんな人に会っても一度原稿を書いてしまうと忘れがちになる、
ってことは書いたっけ? これは失礼に値するから伏せておいたのかな? 
個人的に期待値が高まるのは、これから会う人です。
あれこれ事前調査をするので一時的に詳しくなるし。
中でもアスリートは楽しみです。結果がすべての世界に生きている人たちの、
時に笑い飛ばす以外にないような壮絶な覚悟は、ズシズシと胸に迫ります。
何しろ僕自身がスポーツ好きだしね、
先週は野球選手に会いました。
仕事の種類によって、たとえば広告関連だとインタビュー現場はギャラリーが増えます。
クライアント様、広告代理店、先方のスタッフ、こちらのスタッフ、多いと10人以上。
そうなるとトークショー然となり、インタビュイと対峙する僕には
盛り上げ役という無言の圧がかかります。僕が提出すべきアプトプットは原稿なので、
目的に沿わないことまで引き受けるのは何かと面倒ですが、
その辺も含めてインタビュアなので、受けて立つ用意は常にあります。
とにかくそういうギャラリーとともに取材に臨んだわけですけど、
先日の聞き手たちは世代的に野球選手に対する憧れが強かったようで、
対話が進むほどに前のめりになっていくのが視界の端っこでよくわかりました。
北野 武さんがテレビで「野球選手に会うとどうしても敬語になっちゃうんだよな」と
話していましたが、その気持ちわかります。言葉尻以前に、内面的なリスペクトが
前面に出ちゃうんですよね。ずっと見てきた人たちだから。
いいですよね、そういう世代的共有感。
そうしてともに前のめりになった方々には、これから原稿を読んでいただきます。
そこに共有感は芽生えるだろうか? 僕にとって気がかりなのはそこですけどね。