サクラとにかく

でもやっぱり、サクラだけがこれほど格別に愛されるのはなぜだろうと思うのです。
花見の起源は諸説ありますが、どうやら奈良時代に貴族が始めたみたいです。
その古さを理由に、比喩的であれ日本人には桜を愛でる気持ちが
遺伝子に刻み込まれていると言われたりします。
けれど、多くの日本人が今のような花見を楽しめるようになったのは、
江戸時代後期に品種改良で生まれたソメイヨシノの登場以降だと思うのです。
子孫を残せず、大ぶりな花を咲かすためだけにつくられたソメイヨシノは、
戦後になって日本各地で植えられました。
昨日は大阪に行きましたが、環状線の寺田町駅の南改札前にも咲いていました。
それはヤマザクラでもヤエザクラでもカワヅザクラでもなく、ソメイヨシノなのです。
どこにだってありますよね。その史上稀な共通性や共用性、
はたまた開花時期が異なろうとおらが町にもやがて咲く公平性が
それこそDNAレベルで日本人に刻まれている国民性というかキャラクターに
共振を伴って合致するのではないでしょうか。
共に芽生え、共に咲き、共に散る。
だから僕らは、ソメイヨシノが咲くことで自分たちが日本人というグループに
属している系譜を半ば本能的に思い出すのかもしれません。
強いて言い換えれば、花でなく自分たちを慈しむ代替えとしてサクラを愛でるのです。
そう、ほぼ本能的に。
「けれどとにかくキレイだから」とたしなめられたら、
御託を並べるような僕は疎まれるかもしれません。
確かに、美しさに見惚れることは認めます。どうしようもなくひたすら、とにかく。