誰も謝らない

もはや僕が言うまでもないけれど、メディアであれマスコミであれ、
多くの人に向かって大声で発せられる言葉は簡単に信じないほうがいいです。
彼らは、そう言ったほうが伝わりやすいから、耳目を集めやすいから、
という理由だけで言葉選びをする節が多々あります。
それは多分に言葉の重みを知っているからで、なおさら性質の悪い傾向です。
さらに厄介なのは、間違った言葉を使っても、その点について後に謝らないことです。
誰かが何かを間違えば、謝罪の弁を聞くまでとことん追求するくせに。
そういうところ、本当に不快です。
けれど、何を言っても聞く耳は持ちません。古来そうした特性の生き物だから。
なので彼らが発する言葉は、脳の奥深くに刻む前に、まず一度目頭の手前あたりで
宙に漂わせ、「本当にそうか?」と揉んでください。
押しが強いので負けそうになりますが、そこは訓練です。
そうでもしないと、僕らは洗脳体質になり、事実を殺めてしまいます。
ここしばらくは、「置き去り」という言葉に違和感を覚えていました。
無事が確認されて、それは本当によかったけれど、
おそらく誰一人、その言葉選びの検証結果を報告することはないでしょう。
メディアやマスコミの側にいる僕が言うんだから間違いありません。
あ、これも迂闊に飲み込んじゃダメですよ。どうぞ疑ってかかってください。