あり得ないが、あり得ない

ここのところ集中的に、先進技術を生かすベンチャーを立ち上げた方々に会っています。
記事が世の中に出ていないので多くは語れないんだけど、たとえば自動車の自動運転。
ふむ、日本語としておかしいね。でもたぶん、自動車という日本語が生まれた頃は、
全自動操縦なんて考えられなかったんだろうね。自動化は部分的に実現しています。
危険を察知したら勝手にブレーキが利くってのはその類です。
アメリカのステラという電気自動車メーカーは、いざというときには人間が操作する
範ちゅうで自動運転車を発売しました。事故が起きちゃったらしいけどね。
それでも、おそらくこの世界はおよそ自動化の方向に進むらしい。
そうなると、クルマの移動スタイル自体が変っちゃうんですよね。
運転から解放されるわけだから、電車よりははるかにパーソナルな、
たとえば部屋自体が動く感じになるのでしょうか。
となれば、腰を沈めるようなシートじゃなくていいのかも。
クルマ自体も馬力だのハンドリングなどといった特性が不要になるのかな? 
それはクルマなのか? って発想自体が未来にそぐわなくなるらしい。
要するに従来の形に縛られた、あり得ないという考えがあり得なくなるわけです。
ある20代後半の社長さんはこうおっしゃいました。
「今の高校生以下は生まれたときからスマホがある。
そこはもう僕とは違う世界を見て育っているのです」
僕なんか平成生まれと聞くだけでいまだに「へぇ」って呆れるように感心しちゃうけど、
平成生まれの中でも段階はあるんですよね。
きっと世の中は少しずつ様変わりしていくんだろうけど、
気づいたときには浦島太郎状態になるんだろうなあ。
その実感のなさがあり得ないってことなのかなあ。