でも、痛いのはイヤだよね

大仰な表現を使えば、右手の自由を奪われ、その煩わしさに翻弄された10日あまり。
安静最良と知りつつも、むしろ鞭打つようなお仕事攻勢の日々でした。
自分でも、「たかがそれしきのことで」と思いたいんですけど、
鈍痛だけに気分まで落ち込みそうでね。
でも、世の中にはもっと厳しい痛みに耐えている人もいるはず。
それを考えれば自分なんかまだまだ。そう、♪悲しいのは君ひとりじゃないのさぁ♪ 
という慰めのフレーズを聞いて「なら頑張ろう」と頑張るのが前向きなのでしょう。
一方で、「とか言ったって、この痛みや悲しみが消えるわけじゃない」も現実です。
それは後ろ向き? 
自分だけじゃないという想像で何かが救われるのは、痛みなり悲しみを共感できる
誰かがいる安心感から来るものなんでしょう。
それは一種のおまじないとして、それなりの効き目があるかもしれません。
すがる思いも含まれるのかな。
などと愚痴るようにつらつら考えているうちに、痛みは少しずつ和らいでいきます。
そうするとやがて、痛みに耐えている人を想像することも止めてしまうんだろうなあ。
だからせめて、痛みの記憶だけは留めておけってことなんだろうね。ふむ。
でも、痛いのはイヤだよね。

仕込み万歳/極薄衣のサクサクかき揚げ』第5話アップ! いよいよ揚げまっせ!