的存在

こうなりたい、というような特定の理想像はないんですが、
車寅次郎、人呼んでフーテンの寅さん的存在には憧れを抱いています。
フーテンは瘋癲という精神疾患が語源という話もあり、
カタカナ的には無職ですることもなく街をふらつく様子または人々を指すようです。
でも、寅さんは無職じゃないですよね。テキヤという職人的商売を営んでいます。
そして、稼ぎ場所なのか新しい恋なのか、とにかく出会いを求めて全国を歩き回る。
だから、あちこち泊まって食べるくらいの収入は得ているわけです。
なのでたぶん精神を患っているわけではないし、街をさまよっているわけでもない。
寅さんが飛び抜けているのは、一般社会が持っているもの、あるいは持とうと
努力しているものを持たないこと、または持とうとしない生き方です。
それに不便も感じていない。そのせいで周囲を心配させるのだけど、
寅さん本人は自分を知る周囲の人物たちを心配するのです。
この社会が本気で寅さんのような存在を、疎ましさもしくは妬ましさを理由に
排除しようとしたら、一個人である以上簡単に潰せるかもしれません。
とは言え現実的には映画の中の存在だし、
親は子に「寅さんのようになれ」とも言わないだろうし。
それでも歳を重ねるほど、劇中では描かれない孤独な時間にいる寅さんの実像が
胸に迫ってきて、何というか憧れがより一層深くなる。
自分がどこまで耐えられるか不安になるほどに。
現実社会に身を置く生身の僕としては、自分の意気地なさを嘲笑しながら、
だからやっぱり"的存在"になりたいと思うのが関の山なんですね。
10代になった甥や姪が僕の商売が理解できないことに
「むふふ」とほくそ笑むくらいな感じで。
最近の正月映画って何だろう? というところからここにたどり着きました。