言葉がある

人の話を聞き書きする仕事をしていて感心するのは、何かを極めた、
または極めようと努めている人には、それぞれの経験に基づいた言葉があることです。
そのオリジナリティの高さに毎回惚れ惚れします。
それって当たり前のことでしょうか? 
たとえば、さっき書き上げたのは金属加工の職人さんの原稿ですが、
突き詰めてしまえば、仕上がった製品が受け入れられ、愛でられすれば、
それでその仕事は完結です。だから、言葉なんて不要でもいい。
何しろ工業機械より高精度な仕上げができる人間の指先の感覚などは、
たぶん言葉で説明できる世界ではないでしょう。
けれど、人に評価されるものをつくるには、何をつくるべきか、何が正しいのか、
あるいはそれらの逆まで考えなければなりません。そのときに人は言葉で考える。
または言語化することで肯定と否定の材料とする。
そしてまた、言葉になった考えを打ち崩し、新しい感覚を身につけ、
再び言葉として定着させる。その繰り返しの末に獲得した
揺るがぬ自信とも言える言葉は、およそシンプルで平易だったりします。
研ぎ澄まされていくんだろうね。無駄なものが削ぎ落されるんだ。
そこにある説得力に僕は毎度打ちのめされます。
この場面で引き合いに出すのはどうかもと思いますが、ニュースで見た国会は、
言った言わない、言葉より実行だ云々と、聞いていて情けなくなりました。
たまには議会の外にあふれている生の言葉に触れたらいいのに。
その瑞々しさに心が洗われるよとお伝えしたいですね。大きなお世話でしょうが。