どこで何が?

知らぬが仏と言いますが、何の準備もなくいきなり知らされてしまったら
神も仏もないと思うのはこっちだぜ、と言いたいです。いささか大げさですが。
よく行くご飯屋さんのカウンター。となりになったよしみで二人組と話したら、
一人の方は僕の住まいの近くに親戚がおられるようで、
僕がランニングコースにしている池の公園をよく知っていると言いました。
そしたらもう一人の方が、「あそこって昔、怖い事件があったよね」と。
「そうそう、でも地元の人は何も気にせず通ってますけど。
ただ、夜はやめたほうがいいと思います」
今回の件は事実に基づいているのかもしれませんが、
そういうまことしやかな噂話って人間関係の中でも取り交わされますよね。
しかもたいがいは本人からではなく、周囲から間接的に聞かされる。
やっぱり、知らぬが仏です。知ってしまった以上、どうしたって
"そういう目"で見てしまいがちです。本人の言葉じゃないからと思いたい。
でも、接し方のどこかに知る以前とは違うほころびが生じるのではないか。
それが原因で、「あなたもそうなのね」と悲しいことを言われたら......。
いずれにせよ誰だって過去は変えられない。そうであるなら今を信じよう。
何だか歌のセリフみたいだけど、自分も変化しながら生きているわけですから、
もはや形を変えようがない他人の過去を詮索するのは
フェアじゃないかもしれませんね。
で、件の池の公園。どんな怖い事件があったかまでは知りたくないし、
現在はすっかり平和の中にあり、僕は今後も行くことをためらいません。
でもきっと、どこで何が? という気持ちは心のどこかに残るだろうなあ。
知らぬが仏でいたかったなあ。

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