引っ込みつかず、うかがい知れず

引っ込みがつかなくなる、ということがごく稀にありますね。
それはたいがい、衝動や勢いに任せた判断のツケです。
たとえば「振り上げた拳の持って行き場がない」は、
瞬間的に怒りが込み上げた後のバツの悪さみたいなもので、
それならやっぱり普段から感情的にならない訓練を積んでおくべきだと、
したり顔の大人は言うわけです。
「席を立ったのに断られる」はどうでしょう。電車で座っていた自分の前に
お年寄りが現れ、これまた瞬間的に席を譲ろうとしたのに、
「次で降りますから」と固辞されるケース。う~む。どうしたもんでしょう。
好意の行為が厚意と受け取られず、挙句その場で恥ずかしい思いをしたことが
後遺症になったりしたら、それはなかなか気の毒です。
それでも、怒りに任せて拳を振り上げるよりは格段にいい。
というか、ぜんぜん恥ずかしくないから。と、自分に言い聞かせました。
午前8時前の駅のホーム。電車が止まり、狭い通路に人があふれかえったとき、
女子高生の鞄から、(後にわかったことですが)フェルト生地を縫い合わせた
マスコットが地面に落下......したのを目撃した次の瞬間、
僕はそれを拾い上げていました。好意や厚意ではなく、まさしく反射的な行為。
頭の中では「うわ、拾っちゃった!」という声が聞こえたくらいですから。
でも、密集した人混みの中でそんな行動を取ってから振り返っても
落とし主が見つかるはずもない。落とした本人も気づかなかったんだろうな。
僕はその小さなマスコットを握りしめた手をコートのポケットにしまい、
しかも1本電車を乗り過ごし、さてどうしたもんかと困惑しました。
ま、次の電車が来る前に駅員さんにその後の対応をお任せしましたけど。
引っ込みがつかなくなるなら最初から押し出さない人生を選ぶべきなのか。
答えはわかりません。
そして、あのマスコットが持ち主に戻るかも僕にはうかがい知れぬことです。