引退は普通のことじゃない

引退のリアルな感覚は、やはりどうあっても想像がつきません。
もちろん浅田真央さんの決断を受けての話ですけど、イメージできます? 
一般的には定年が引退に近いかもしれませんが、
あれには既定の年齢がありますよね。ある意味で自動的に必然的に、
会社員ならそれは誰にでも訪れる。会社員ではない僕には定年がないので
できれば生涯現役を貫きたいと思っていますが、
きっとどこかで廃業する日は来るはずです。
でも、その日を迎えても引退の気分は味わえない気がする。なぜだろう。
真央さんのように26歳という若さがないから? う~む。
たぶんですけど、直接的な生産性がないことに自分が持ち得る時間を
すべて費やした人だけが引退を判断できるのではないでしょうか。
語弊があるかな。けれど、スポーツはそうですよね。
結果的に経済効果というものが発生し、金銭を生み出し、
アスリート本人の生活基盤が築けるとしても、
根本の部分で勝ち負けを競うスポーツには生産性がなく、
それに触れる僕らにしても感覚的な楽しみやよろこびしか享受できません。
言うまでもなくその感覚的な部分が普通に生きる僕らの精神を救うから、
非生産性を否定する気は毛頭ありません。
要するに、生産性のない領域に本気で飛び込める人は非常に少ないわけです。
誰にでもできないことをした人だけが引退を語れる。
とまぁ、そういうことではないかと。
スポーツに関しては常に思うことですが、自分が好きで始めたことで
多くの人々の魂を揺さぶるって、奇跡の綱渡りみたいな確率ですよね。
やっぱり普通のことじゃないんだなあ。