ミュシャの宿題

僕にもたぶん審美眼があるのでしょうが、それはたとえば優れた批評家が持ち得る論理的知性に裏付けされたものでは到底なく、少なくとも芸術に向けては感覚的な好みによる判断でしかありません。そしてまた恐れを知らない僕の審美眼は、「別に好き嫌いでいいじゃないか!」という決めつけを断固として譲りません。我ながら実に稚拙だと思いますが。これはひとつの大前提。
そうした類の審美眼ですから、美術に関して言えば技法などにはあまり関心が及びません。そこにある形が好きか嫌いかでいいわけなので。興味の触手が伸びるのは、やはり人。作者の思いです。好みの画家であればなおさら、「なぜそれを描かねばならなかったのか?」が猛烈に知りたくなるのです。これが美術展に臨むふたつめの大前提。って、前提が多過ぎだっつうの。
で、ミュシャ展。今回は,ミュシャ52歳の1912年から1926年の間に描き上げた『スラヴ叙事詩』が、故国のトルコ以外で初公開される点が最大のトピックとなりました。縦6メートル、横8メートルの大画面が20枚です。ひと隅たりとも手を抜かないその集中力に圧倒されるばかり。一人の画家が放出したエネルギー、ひいてはこれを描かねばならない執着心に打ちのめされます。
でも、僕が芸術家ではないことを差し引いても、ミュシャが『スラヴ叙事詩』にこだわった本当の理由は体感できませんでした。
スラヴとは、中欧から東欧に広がる言語です。それを用いる人々をスラヴ人と呼びますが、その圏内は現在の国で9カ国以上にまたがるので、特定の民族と断定することはできないようです。
しかし、ミュシャが誕生した19世紀末のヨーロッパでは、スラヴの民族運動が欧州を揺るがします。そして時代は世界第一大戦へ。終戦の年の1918年にハプスブルク家が支配したオーストリア帝国が滅亡すると、ミュシャの故郷はチェコスロバキアとして独立します。その祝祭のムードがミュシャに『スラヴ叙事詩』を描かせた。ざっくり言えば国粋的に。つまりは天才画家も時勢の影響は避けられなかった、ということでしょう。
そうした民族や国家や戦争といったものが個々の人間に及ぼす力を理解できない限り、根っこの部分で「なぜそれを描かねばならなかったのか?」はわからないわけです。それは僕にとって生涯的に体感し得ないものかもしれない。ただ、あれこれ勉強すれば、要するに論理的知性を磨けば、少しはミュシャの思いに近づけるかもしれない。
これはミュシャ展の宿題です。興味深いテーマを与えてくれたことに感謝しなければいけませんね。ちなみに展覧会は6月5日まで。よかったらぜひ。