Motivation

モチベーションという言葉を僕が初めて知ったのは、F1ドライバーの
アイルトン・セナが存命中に語ったインタビュー記事でした。
1990年代の初め頃。対訳は「やる気のようなもの」だったと思います。
かなり半端な訳し方だったけれど、擦り込みというのは恐ろしくて、
僕は長い間、モチベーションとはやる気のようなものと理解していました。
けれど方々でモチベーションが耳に入るようになって、
どこか違うような気がしてきたんです。
何しろやる気であれば、外出時に靴を履くのと同程度の装備に過ぎません。
「仕事にやる気を出そう」なんてのも同様。
やる気なしでお金が稼げるなんてことはありませんからね。
では、「動機」ならどうだろう? 外出する動機。仕事をする動機。
前者は単に「買い物に行きたいから」と理由を述べれば済みそうですが、
後者となると、それは誰もが人生の大半を費やすものですから、
「生活費を稼ぐため」だけでは片付かないかもしれません。
なぜ僕らは仕事をするのか。なぜ僕らは働き続けるのか。
その解を得るのに必要なのが生活費を稼ぐ以上の動機。つまりモチベーション。
などと偉そうに言っても、妥当そうな対訳をつらつら語っているに過ぎませんが。
言うまでもなく今さらモチベーションを持ち出したのは、
宮里 藍選手の会見がきっかけです。
返す返すも、プロゴルファーとして生き続ける中でゴルフクラブを握る動機を
失いながら過ごした日々がどういうものだったかは、
勝負事を生業としない人間にはまるで想像がつきません。
ただ、こうも思ったんです。勝敗という、残酷だけど明確な結果を提示されない
毎日を送る僕らのような市井の人々にしても、
(あるいはむしろ)モチベーションの維持は相当に難しいのではないかと。
瑣末ながら自分に引き寄せれば、他者によろこばれる原稿を書きたいと
励むのは動機というより職務のように感じています。
じゃ、モチベーションの本当の意味って何だろう? 
突き詰めれば、何のために生きているのかと自分に問うことになりそうです。
藍ちゃん。これはやっぱり途轍もなく難しい問題ですね。