受け手の問題

何かを提供する側は、提供される側の"質"について
語るわけにはいきません。いや、まぁ愚痴のようなものを
そっとつぶやくことは許されるでしょうけど、
相手を揶揄すれば「じゃお前はどうなんだ」と
無用な照り返しに遭うのが落ちです。
では、どうするか。
ただひたすら最良を提供し続けるしかないのだと思います。
その自分の信じる最良を「最良だ」と言ってくれる人が
一人ずつであれ増えていくことも信じながら。
回りくどい話になっていますね。
先日、『安穏 戊』のカウンターでとなりに座った顔見知りの方が、
「ここの塩むすびを美味しいと心から思える自分を褒めたい」
とおっしゃったのでした。
この塩むすびとは、『仕込み万歳』でも紹介した、
手に塩をつけて白米を握っただけの、あまりにシンプルな一品です。
海苔すら巻かないそのおむすびを笑う人もいるそうな。
でもね、もし機会があればぜひ食べてください。
あまりに質素なので形容が難しいのですが、
どこまでもホッとするほど美味いのよ。
なぜこんなに美味しいのかは諸説(笑)ありますが、
常連で一致しているのは、料理人マサルの掌の常在菌自体が
格別に美味だからという説です。
味覚を始めとする感覚に絶対値はありません。
ただ、個々の感性や経験という相対値が研ぎ澄まされていけば
限りなく絶対値に近づくはずで、
要するに提供する側の最良を感じることができるかどうかは、
提供される側の質にかかってきます。
その晩のカウンターでは「受け手の問題」と表現されました。
ほとんど多くの方は、仕事の上では提供者になると思います。
僕もそうですが、質の高い受け手でもありたいという願いがあります。