曖昧な目標の先に求めているのは

昨日ここで、僕は具体的な目標は持たないと書きました。で、昨日。

30度越えながら久しぶりの晴天に誘われてランニングしながら、

具体的な目標を持たないなんて怒られるかも、と思ったわけです。

たいがいの社会人は、その成功度合いを数字で示す義務を与えられます。

組織に属している人は特にその縛りがキツいでしょう。

自営業の僕にしても、たとえばクレジットカードを利用し続けるには、

個人情報でもトップシークレットに属する年収の報告に迫られます。

なぜなら、僕がどんなにお金に清い性格でも、

「それを証明するためにもね」と絶対性のある理由が必要になるから。

世の中が個人を信用するのは数字だけなんでしょう。

だから目標にも具体性が欠かせない。確かに。

でも、じゃなんでオレは走ってんだ? と次の疑問が浮かんだのです。

かつては走行距離やラップタイムがわかるアプリを利用していました。

そのデータを見て一喜一憂してもいました。

けれどスマホを買い替えたときにそのアプリの利用をやめたんですね。

新しいアプリを探すのが面倒なだけでしたが、

そのおかげで楽に走れるようになったんです。ペースは感覚任せ。

途中で写真に収めたい景色に出会ったら足を止めてもオッケー。

とにかく決めたコースを最後まで走り切る。

その先にあるのは、未来の自分の健脚......。

そんな曖昧な活動に付き合ってくれる人は誰もいないだろうな。

しかし、今の自分には具体性を伴わない目標のほうが合っているみたい。

あるいは、求めているのは一種の境地かもしれないから。

いやぁ、それにしても走る間隔を開けてしまうと、

ふくらはぎや太腿の裏がピキピキしますね。