#5 気仙沼~ 思いがけぬ旅の宿

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その日のうちに気仙沼まで行くことにする。昨夜の仙台泊で、実はなかなか宿が見つからなかったので、石巻を出発する前に宿を検索し、予約をとっておこうと思い立つ。
様々な検索ワードで宿を探すが、大した数ではないので片っ端から電話してみた。どこも満室。なかには「震災後、宿はやめて居酒屋になっちゃったのよ、ごめんなさい」ってとこもあったりして。ためしに石巻で同様に検索、電話を繰り返す。やはりどこもいっぱい。確かにこの移動中、ツーリングらしきバイクの団体なんかにも結構出くわしていたし、「連休中に東北を訪れる人って案外多いんだなあ」なんて思いつつ、迷った末、「ま、行けばどうにかなるか」と気仙沼へ向けて出発することにした。

三陸自動車道を経由して約90㎞、グーグルマップによれば1時間半から2時間。「自動車道」って割にはひたすら暗い一車線を北上。周りは何もないから凄まじい強風が直接吹き付けてくる。暗かったから何とも言えないが、恐らくこの区間は津波の影響ではなく、最初から何もない。自動車道を外れ気仙沼へ向けて東へ進む頃に、ある考えが頭をよぎる。

「確か気仙沼って相当の被害があったはずだよな...」

街に行けば、どうにかなるだろうっていう思いを抱いていた僕は、ひたすら暗い一本道と強風にあおられ少々弱気になってきた。山を越えるごとに何もないかな~と思うようになった。
そんな時、ライトに照らされた小さな看板が目に入った。普段だったら間違いなく見過ごすであろうペンションの小さな看板。今思えば、あの時バイクを走らせながらも、必死に目を凝らして、人の気配というか人工的な何かを探していたように思う。一瞬考えたが即断、引き返して看板から細い道を入りペンションを発見、声をかけてみる。

「ごめんなさいね~いっぱいです~」。なんと、こんな人里離れたところまで! ちなみに気仙沼市街まではあと20㎞地点。やはり市街地まで行ってみるしかないなとバイクにまたがりかけると、ペンションの方が追いかけて来た。
「どこまでいくの?」
「気仙沼まで」
「あなた、気仙沼ったって、この先何もないよ」
「中心部まで行ったら何かないですかね?」
「津波でぜーんぶなくなっちゃったからねえ」
「...」
「うち、自宅でよかったら泊まっていきませんか?」
おばさんが観音様に見えた。しかし同時に堪らなく恥ずかしかった。被災地を、復興の現状を自分の目で見て、何を知るだろう、何を感じるだろうってここまで来て、支援をしに来たわけでもないのに被災した人達に助けられるとは...。

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そんな僕にペンションのみなさんも、いろんな話をしてくれた。特におかあさんは本当にエネルギッシュだった。
以前はもっと市街に近い海岸でペンションを営んでいたこと。
海が真ん前だったから、お客さんは水着のまんま宿から遊びに出て行けたこと。
隣には道の駅があってものすごく賑わっていたこと。
その全てが、そっくり流され、なくなってしまったこと。
震災後、多くの常連さんたちが安否の連絡をくれたこと。
見舞いに来てくれた人もたくさんいたということ。
その応援があったから、またそのお客さんたちをもてなしたいから、ペンションを再開しようと奮起したこと。
多くの人々に助けられたから、これからはその感謝の気持ちをより多くの人々に返していきたいと思っているってこと。
だから僕のことを放っとけなかったということ。
旅が好きで、何も計画をたてず単身、海外旅行に行くのが趣味だということ。
旅先で知り合った現地人の家に泊めてもらったりもしちゃうこと。
まだ世界中に100カ所以上も(!)行ってみたいところがあるということ、などなど。
ちなみにおかあさん、おそらく70歳代(違ってたらゴメンなさい)で日本語以外は話せない。
しかし、娘さんからは「そんな母でも、震災後3ヶ月間くらい塞ぎ込んで部屋に籠っていたんですよ」と後で聞かされた。

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翌日、気仙沼へ向かう道中、以前そのペンションがあったであろう辺りに立ち寄る。話に聞いた光景を想像しつつしばし海を眺めた。お母さんから聞いた話で一番衝撃的だったのは、「津波の被害を受けて以降も一度として、海を嫌いになったことがない」というのだ。津波があった翌日も、海に向かって「なんでそんなに怒ったの」と語りかけたそうだ。何よりの証拠として、その朝再びペンションを訪れて気付いたのだが、新しく建てられたそのペンションも、多少高い位置になっているとはいえやはり、海のすぐそばに建てられていた。

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