#6 気仙沼市街~ 本当に恥ずべき無知

気仙沼近郊の海岸線から市街地に入る。市街地だったところに、と言うべきか......。
かなりの衝撃だった。

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気仙沼湾に面して広がっていたであろう南気仙沼辺り一帯の港町。地図を開いてもらえばすぐわかるが、気仙沼湾と大川に挟まれたその一帯が丸々消失していた。10階建てくらいのホテルの残骸が一棟だけポツリと残され、荒廃感を際立たせる。
本来、工場やビルなどの建造物が多かったせいか、あるいは瓦礫の撤去作業が終わって間もないのか、これまでの場所のような草っぱらというよりは、コンクリートやアスファルトが目立つ。変なたとえだが、何もなかったところに新たな街を建設中で、漸く土台や道路が出来つつある感じ。もちろん真逆でうわものがそっくり流されて、整地された地面だけが残された訳だが、この風景の異質感といったら表現のしようがない。ただただ津波の壮絶さだけがビリビリと胸に突き刺さってくる。

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これまで被災地を巡って来て、自分の認識の甘さを痛感したつもりだった。全てが押し流され、剥き出しの大地へと変わり果てた風景に衝撃を受け、何も、言葉すら発することができない自分の無力さに愕然としていた。
だが、それでもまだ心底実感できていなかったのだ。明らかに、ここに街があった痕跡を目の当たりにした今この瞬間まで、まだまだ実感できていなかったのだ。

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僕が育った場所はほぼ360度田んぼに囲まれ、歩いてちょっと行けば広大な河川敷があり、見渡す限り田畑一色っていう環境だった。その光景に、これまで見て来た被災地はどこか似ていた。もちろん前述の通りそこは田畑などではなく、今は更地と化してしまったが、多くの人々が日々生活をしていた場所だったわけだが。

わかっていたつもりだけど、その似た光景がほんの、ほんの少しだけ衝撃を和らげていたのかもしれない。気仙沼の、その街があった証拠を残す光景が、もうどうにもリアルに、直接的に、被災の凄まじさや惨さを伝えてきて、そこから逆再生されるようにこれまで見て来た光景の全てが、すぐ目の前にある現実として形をなした。
昨日までに、確かな手触りとして実感できていたなら、昨夜、石巻を発つ時「ま、行けばどうにかなるか」なんて考えるはずないのだ。この2年の間、散々凄惨な映像や情報にふれて、知っていたはずなのに。
無意識に、「それでも2年経ってるし、街としての体はなんとなくなしているんじゃないか」そんな甘い考えを持っていたんだと、改めて実感し、本当に恥ずかしくなった。昨夜ペンションの玄関で感じた恥ずかしさは、実はまだ、本当に恥ずべき自分の無知・無意識には至っていなかったのだ。

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