そんなこんなで、ぼやぁっとしたまま春を迎えましたが、4月は大きな場面転換を迫られる人が多いんですよね。この週末、昨日の月曜に小学校の入学式上があると教えてくれた7歳の男の子や、今週から中学生の授業が始まる娘のお弁当をつくらなきゃいけないというお母さんに会って、自分の曖昧な時間の過ごし方を反省しました。節目がないって、精神が緩むんだなあ。
さておき、これまでとまったく違う環境に身を置く最初の日って、どんなことを記憶するんでしょうね。そんな節目の日の中で、断片的ながら、僕は小学校の入学式をよく覚えています。
体育館の照明。あれが水銀灯だったことはかなり後で知るのですが、とても高いところに備わっているのに、すごくまぶしくてきれいで、そんな光に照らされている状況に感動したんです。光線が拡散するくらい滲んで見えたのは、感涙のせいだったかもしれない。同時に、そういう感動ができる感性に酔ってもいました。おそらくあれは、自己陶酔に陥って周囲が見えなくなる最初の機会だったと思います。
それから、式の前だったか後だったか、導かれるまま教室へ向かうため通過せざるを得なかった下駄箱。ひとり一箱ずつ用意されていて、その扉にはそれぞれの氏名が平仮名で表示されていました。しかし、僕の名前はなかった。あろうべき場所にあったのは「たむらとしお」。もしやそういう名前の子がいるのかもと、皆が上履きに履き替えるのを一通り見守って、やっぱりなと思いました。
これは過去に散々経験してきた誤記。十七男が「となお」と読めなくて「としお」になっちゃったんだと、大人がよくやる間違いを小学校もするんだと、そういう子供らしくない冷めた目線は、小学校に上がる前から持ち合わせていたようです。
それから五十有余年。様々な経験によって性格形成が行われたはずですが、三つ子の魂とはよく言ったもので、性根は今もって7歳のままみたいです。今年入学式を経験した子供たちは、何を記憶するんだろう。周囲の大人は、それを知るべきなのか、または放っておいたほうがいいのか、どちらが正しいのでしょうか。僕はこの件、たぶん親に話していません。皮肉を好むのも、生まれついた性癖なんだろうなあ。

曇り空がどうのとボヤいていたら、青空の下で満開の桜を拝めました。
