入学式に寄せて

一昨日の晩、いつもの飲み屋で顔見知りに会ったら、今夜は深酒できないと言いながら2杯目を頼んでいました。
「明日の子供の入学式には必ず参加するってカミさんと約束しちゃったから」
そもそも大事な用事があるなら来なきゃいいのにと思うわけですが、飲んべは結局いつでも言い訳が必要なんでしょうね。
ふと思うのは、子供の式典は親にとっても大事なものということ。どんな場合でも、「あんなに小さかったのに」とか「こんなに大きくなって」といった感慨が胸に迫るのではないでしょうか。
片や子供がいない僕は、おそらく残念ながら親の立場は想像の域を出ません。なので、いつまで経っても子供の立場でしか振り返ることができないけれど、これまでの人生でいくつか経験した入学式でもっとも思い出深いのは、小学校のそれでした。
ずいぶん前にも書いた記憶がありますが、初めて入った体育館の、遥か高いところで輝く水銀灯の光が滲んで見えたのです。あれはたぶん、人生で初めての感涙だった。
さらに、式の後で下駄箱にたどり着いたら、自分の名前がなかった。正確に言えば、「たむらとなお」ではなく「たむらとしお」という自分らしき名前は発見できた。そのとき、こう思ったのです。「大人たちはいつもこんな間違いをする」と。だから先生には、「ボクの名前がありません」ではなく、「ボクの名前が違っているようです」と淀みなく伝えました。
そんなことがあったので、入学式の記憶に関しては、現在からもっとも遠い小学校が色濃いのかもしれません。あるいは、誰かに諭されたのか、または自発的に意識したのか、小学校の入学式には何かが始まる極めて大きな予感を覚えていたんじゃないかと、そんなふうにも考えられます。
一方、それ以外の入学式の記憶が薄いのは、小学校のときほどの予感、ないしはその前の卒業式で何かを確実に終わらせた実感を得なかったのかもしれません。それがセンスの問題だとしたら、僕の精神的な成長は、小学校の入学式がピークだった可能性が高くなります。
例によってグタグタ言っていますが、保護者の方々の感慨とは別に、子供は子供なりに、言語化できずともいろいろ感じているものですよと、不遜ながらお伝えしたかっただけの話です。
今年の小学校には、令和生まれの子が入学するそうですね。保護者や先生は平成生まれか。個人的にはその件が感慨深いですが、どちら様もおめでとうございます。

ただいまお式の最中でしょうか。お天気に恵まれてよかったですね。

月や火星の前に

「世界に平和をもたらせるのはあなただけ」と持ち上げられた大統領が、例によって場当たり的な演説を行った約2時間半前。というのは日本時間で4月2日(木)の午前7時半頃、フロリダ州のケネディ宇宙センターからアルテミスⅡが打ち上げられました。その件を知ったのは、わりとさっき。ニュースサイトに掲載された、宇宙船の搭乗員が窓越しに撮影した地球の姿を見て、「ほお」となった次第です。
数日前の打ち上げは、アルテミス計画に則ったものらしいんですね。ご存じでした? その計画、これまたさっき調べたところによると、日本を含む国際パートナーをNASAが主導する、有人月面着陸と長期滞在を目指す国際探査プロジェクトだそうな。
有人月面着陸で真っ先に頭に浮かぶのは、1961年から1972年にかけて実施されたアポロ計画。このプロジェクトの主目的は、地球外天体の月に人類を送り、安全に帰還させること。実際に計6回の着陸で12人の飛行士が月面に足跡を残しました。
そうして目的を果たしたのに、なぜまた似た試みをするのか? 今回のアルテミス計画は、先述の通り月面での人類長期滞在を実現させるため、ゲートウェイと呼ばれる月面拠点の建設を行い、ひいては火星等の探査の足掛かりをつくるという、より具体的な宇宙開発のフェイズに入ろうとしているのです。
ちなみにアポロの由来は、ギリシャ神話の太陽・芸術・医術を司る神のアポロン。一方のアルテミスは、同じくギリシャ神話の狩りと月の女神。この二人は双子なので、活躍の連続を期待した、なかなかにロマンチックな命名だったのでしょう。
しかし、1969年にアポロ11号が実現させた人類初の月面着陸をリアルタイムで知っている僕は、今回の計画にまるでワクワクしません。あのときの興奮を経験済みだから? それもあるだろうし、あるいは大人になるにつれ、誰のものでもないはずの宇宙に手を出す人類の行動に対して疑念を持つようになったところもあるでしょう。こうも思うのです。月や火星の前に地球だろと。
実を言えば、アポロ11号の偉業が伝えられた時点で6歳10カ月の僕でも、当時のベトナム戦争が継続中であることは知っていました。それを振り返ると、あれから60年近く経ってもこの世界は、というより人類は、何も変わっていない気がしてなりません。
いやまぁ、今の子供たちがアルテミス計画にワクワクしているなら、僕の疑心暗鬼はただの文句扱いでかまわないけれど。

オオキバナカタバミだそうな。小さな黄色い花は、心を軽くしてくれるなあと思って。

黒羽がもたらした道義的責任

このまま掲載したら炎上するかもと思い、ボツにした原稿があります。いやまぁ、ひっそり書いているので叩かれたりしないだろうけれど、相応の処置を試みたのでボツ原を掘り起こしてみました。
主題はカラスの営巣。3月17日付けのここで、ベランダから見下ろす電信柱の頂上付近でカラスが巣づくりを始めた写真を乗せました。そのときは、「くちばしに小枝をはさんでくるヤツを毎年目撃するけれど、営巣の成功例はまだ見ていません」と高を括ったキャプションを添えましたが、どうも本気だったみたいです。
真っ黒なので同じ個体か識別できないものの、頻繁に訪れるヤツがいて、やがて二羽が来るようになり、見る見るうちに小枝の集合体が巣の形となり……。
その間の頭の中には、二つの考えが交錯していました。ひとつは、興味深い定点観測の機会に恵まれた幸運への感謝。もうひとつは、このまま巣をつくらせていいのかという不安。後者を押し上げたのは、かつての記憶です。
この町で暮らし始めて半年が過ぎた5月か6月。今とは違う住まいの建物を出た直後、後頭部をカラスに襲われました。ヤツラら、くちばしで突くのではなく、足で蹴るんですね。その時期のカラスは子育ての真っ最中で警戒心が強く、巣の近くを通る人間を一方的に襲撃するらしい。となると、僕が見つけた巣で子育てが始まれば、その下の歩道を通る人が罪もなくカラスに攻撃されてしまうかもしれない。
そこで自覚したのが道義的責任でした。もはやラッキーな定点観測では済まなくなり、電力会社に相談メッセージを送る羽目に陥るとは……。
降って湧いた厄介事です。メッセージには個人名と電話番号を記載せねばならず、翌日には「電信柱を確認しました」という律儀な連絡が来るのだから。
電力会社の見解は次の通り。現状では停電の可能性が低く、すぐさま撤去するとカラスの凶暴性が増す恐れがあるので、しばらく様子を見ると。より神経質になる子育て時期はどうするのかたずねたら、それもそのときに検討するそうな。ということは、もしや僕に観測を続けさせた上で再連絡を待つってことなのかな。だとしたら、黒羽がもたらした道義的責任はまだ免れていないのか?
やれやれな気分です。ベランダの目の前だから、毎日見ちゃうけれどさ。これはボツ原と同じ締めですが、巣づくりだけで諦めてくれることを祈るばかりです。

3月17日の写真と見くらべてもらえば発展ぶりは明らか。町の安全のためにも観測続行で。

春なのか

悲報です。昨日のここで、ささやかな幸福を実感して「春だなあ」と呑気につぶやいた直後ゆえ、気持ちが墜落まがいに急降下しました。
近所の飲食店が閉店するらしい。さっき、開店準備を始めるはずのタイミングで店前をのぞいてみたけれど、人の気配がありませんでした。となればやっぱり、願う噂ではなく事実みたい。
大好きでした。料理はもちろん、家族経営の店柄が。遅めの時間に一人で寄って、他のお客さんが引けていくと、カウンターの向こうはファミリー感が増して、なんだか親戚の家に遊びに来ている気分になれた。この件がこの町に広まってくと、その店の名物が食べられなくなると嘆く人が出てくるに違いありません。けれど僕は、大事な居場所が消えてしまった喪失感のほうが大きいです。
件の飲食店(仮称A)が閉まる情報は、別の飲食店(仮称B)の主人が教えてくれました。1週間ほど前、Aのご主人がふらっとBに顔を出し、おおむねの顛末を話したそうな。大家と家賃更新で揉めていたという話は、たぶん2年くらい前にAのご主人から聞いていました。かなり不条理な条件に憤慨を露わにしたのは、他のお客がいなくなった親戚タイムだったからだと思います。閉店に至ったのは、その交渉が決裂した結果なのだと。
「タムラさんにもお伝えできなかったんですよね」
Aのご主人はそうおっしゃったそうです。実のところ、ほぼすべての常連に告知しなかったらしい。その理由は聞いていません。でも、そうせざるを得ない事情があったのでしょう。Aのご主人は、すでに別の場所で再オープンするのとは違う理由で引っ越ししてしまったとか。となれば、あの家族には二度と会えなくなってしまうのだろうか。
こうなると、僕を落胆させた悪人を探したくなります。適任なのは、地域の発展的価値を高く見積もった大家だろうか。いやもう、よくよく考えてほしかった。町の宝と言うべきささやかな名店が、欲張りのおかげで出ていかざるを得なくなるのがどれほどの損失かを。などと叫んでも、もう届かないんですね。本気で恨ますが、名前も顔も知らないのはせめてもの救いかもしれません。
春なのか、と思います。出会いもあれば別れもある季節だから。いずれにしても、それぞれ事情があることだから詮無いし、どうしよもなく切ないです。

雨にも風にも負けず、日が暮れてもなお咲いています。

 

 

春だなあ

「配送時間は前日中にご連絡します」と説明された電話があったのは、想像よりうんと遅かった午後8時過ぎ。もしや待ちわびた洗濯機が届かないのではと焦ったものの、家電量販店の配送専門を名乗る人の口調が丁寧だったことに加え、こちらのリクエストが通らない配送時間が、予定されていた電話取材の11時半前だったので、こりゃナイスと。
翌日の午前10時半に洗濯機が到着。配送と設置を行ってくれたのは二人の中年男性で、体格の良さに相反すると言えば失礼ながら、前夜の電話そのままに態度も作業も真摯。1日中配送に追われて忙しいだろうと思いつつ、外した洗濯機の下の、あれは何て言うんだろう、受け皿みたいな場所を掃除したいと申し出たら、「もちろん、その時間は取らせてもらいます」と返してくれた親切に感謝。
洗濯機の交換は30分で終了し、11時半からの電話取材には余裕で対応。その原稿をあらかた書き終えた午後1時半過ぎ、新しい案件発注の電話が。それは手放しでよろこばしいけれど、よりうれしかったのは、依頼してくれた担当者と仕事の真髄に触れるような話ができたこと。彼は今もまだ十分に若者ながら、10年近く前に出会ったときの風体や業務のつたなさを思い出すと、長くやっていればこんな日が来るんだと感慨しみじみ。
電話取材の原稿を添付したメールを送る頃には日差しの気配が強まったので、いざ洗濯。新品の洗濯機は、当然のことながらすこぶる快調。以前よりすっきり洗えたような洗濯物を干すと、Tシャツやらパンツやらも気持ちよさげに風とダンス。
なんかオレ、心が軽くなってないか?
いやいや、こんな程度でハイになるのはあまりにチョロくないか?
でも、幸福の実感なんて、そんなふうにささやかな連鎖がもたらすもんだろ?
などという、鼻歌がBGMになりそうな自問自答をしたのが、昨日の午後。春だなあと思いました。その刹那、缶ビールをプシュッとしなかったのが、唯一の軽やかな後悔です。

桜もいいけれど、菜の花の黄色もね。

洗濯の自由

内なる自分がささやく直感に耳を傾けなかったばかりに、洗濯機なしの日々を過ごすことになった件をボヤいたのは、およそ1週間前でした。それからの時間が長いのか短いのかよくわからないけれど、洗濯機が壊れた日からコインランドリーを頼る日々が始まりました。
いつからか増えた、マシン感が際立つコインランドリー。一昔、いや二昔前なら銭湯の脇あたりで侘び寂び漂わせる風情だったけれど、最近のそれはむしろ積極的に利用したい印象に様変わりしました。あのプロユースっぽい大型洗濯機は実にカッコいい。
僕の近所にも、置く場所などないのに欲しくなる洗濯機を備えたコインランドリーが、自転車圏内で4カ所あります。今回は、乾燥機を使ったことがあるもっとも古いところと、別の2カ所、計3か所を利用しました。1回の洗濯料金が違います。500円から800円。新しくできた場所ほど高いのは、マシン自体の性能や付帯設備がよくなっているからなのかな。
とは言え、安くても1回500円はなかなかです。頑張って洗濯する機会を週1に絞っても、月2000円でしょ。ケチって乾燥機利用は控えたとしても、それだけの費用がかさめば、ローンを組んでも手に入らない洗濯機の契約書を交わしたみたいな、釈然としない気分になります。
何より厄介なのは、コインランドリーまで洗濯物を担いでいき、約30分の洗濯を終えたら再び回収しに行かなければならないこと。さらには、洗い終わった洗濯物をベランダに干せる天気を確実に調べた上で、すべての行動予定を立てなければならないこと。
そうしたマストの追加は、自由の剥奪という他にありません。もし1週間前に洗濯機の新規販売が禁止される政令が発せられていたら、今頃の僕は洗濯の自由を取り戻す過激な運動家になっていたかもしれない。なんてのは、妄想にも程がある話ですね。いやしかし、いくらコインランドリーの洗濯機がクールであろうと、好きなときに洗濯機が使えない日常には限界があることを思い知らされました。
それも、本日新しい洗濯機が届けばついに解消されます。これほど家電を待ちわびた日なんて、人生で初めてじゃないかな。

優秀で美しい君、ありがとう。さようなら。

十年紀の始まり

1980年4月1日は、松田聖子さんがデビューした日なんだそうな。日付は知らなかったけれど、年はよく覚えています。なぜなら1980年は、70年代を代表する歌手の山口百恵さんの引退と、後々80年代を代表する歌手と呼ばれる松田聖子さんの登場が奇しくも重なったことで、確実な線引きがあった年と記憶しているからです。古い話と呆れられるかもしれませんが、日本のポップカルチャー史の一端を語っていると思っていただけたら幸いです。
山口さんと松田さんは、個性がまったく異なります。そしてまた用意された楽曲も、時代背景に即した特性を帯びていました。単純に言えば、山口さんは暗を帯びた歌謡曲。松田さんは明のポップス。もしカラオケなどで二人の歌を試す機会があれば、何と言うか楽曲自体の湿度の違いを楽しめると思います。
ただ、松田さんがデビューした46年前の今日の時点で、彼女が80年代を代表する歌手になるとは誰も気づけなかったんじゃないでしょうか。松田さんを送りだした人々にすれば、そうなるよう強く願ったとしても、歌手やアイドルは一瞬だけ輝く流れ星のような存在でもあるから、いつまで輝度が保てるかよくわからなかったと思うんですね。
そこで本日言いたいのは、80年代の代表となるには、やはり10年は必死で走り切らなければならないということ。同じ話は、70年代代表の山口さんにも当てはまるでしょう。
○○年代と区分するのは、10年間を1単位とする十年紀によるもの。英語にも十年紀に相当するDecadeという言葉があります。
「いやいや、もはや10年で一区切りなんて長すぎるでしょ。せいぜい5年じゃない?」
膨大な情報があっという間に消費される昨今であれば、そういうご意見が支持されるでしょう。実際のところ、年数の適切な1単位なんて誰にも決められないかもしれません。けれど地に足つけて何かに挑むなら、時代がどうあれそれなりの時間をかけてこそ、実のある答えが得られるのではないでしょうか。最短で3年。そこそこで5年。10年なら確実。僕はそんな実感を持っています。
新年度を機に新たなスタートを切る方には、それぞれに人生のプランがあるでしょう。しかし、明日や明後日や来週あたりを見越して「思った通りにならない!」と慌てないでください。今日が十年紀の始まりなんだと、それくらい悠長に構えていただけたらいいなと思って、こんな話になりました。10年って、何度も取り返しがつくほど、けっこう長いですよ。

ここ数日で小さいクレーンも撤去。いよいよ吊り下ろし作業は不要になったのかな。

 

もしも街角ピアノが弾けたなら

街角ピアノという総称でよいのかしら? 駅や空港や商業施設など、人が行き交う一角にピアノが置かれている状況ってありますよね。誰でも自由に弾いてくださいという体で。テレビやYouTubeでその存在は知っていたけれど、実際に目にしたのはついこの間でした。
母親の入院面会で週2回くらい電車を利用していたときです。乗り換えのJRと私鉄の駅をつなぐビル内の通路にグランドピアノ。初めてそこを通った際には、50代くらいの男性が『銀河鉄道999』を弾いていました。なかなか上手でしたよ。立ち止まって聞き入らずとも、音に淀みがないのはよくわかりました。
そういう姿に触れると、これまでに何度も諦めたピアノへの憧れがよみがえります。やっぱり、音楽提供に伴う説得力に関してはピアノが最強ですね。街角ギターや街角サックスも悪くないけれど、ちょっと違うんだろうな。
そんなこんなで往復する通路なので、何回かそのピアノの脇を通ったけれど、『銀河鉄道999』の男性を二度。タイトルを知らない曲を弾いていた、件の男性と同世代っぽい女性を一度見かけました。あれは練習なのかな。あるいは多くの人に披露する意図があったのか。いずれにせよ、それ以外の空席のタイミングで、たとえば初めてピアノに触る子供がポロポロと音を出している瞬間に立ち会えたら素敵だろうと思っていました。残念ながら、僕が通っているうちには遭遇できないシーンでしたが。
だから街角ピアノは、誰でも自由に弾ける点で、音楽ないしは楽器との出会いを生む機能も果たしているんじゃないかと期待したわけです。しかし、それは性善説みたいでした。
場所によっては、付近を通る人から「下手くそだと騒音でしかない」と苦情がきたり、その対応に追われた運営者が「練習では使わないでください」と注意書きを貼り出したりするそうです。
世知辛いなあ。見守るって言葉、この社会から消えてしまったのかな。街角ピアノを巡る環境がどこも同じではないだろうけれど、僕の期待が少し萎んだのは確かです。
もしも僕がピアノを弾けたなら、通路に置かれた一台に近寄れるだろうか。相応の勇気や度胸は必要でしょうね。ただ音楽好きとしては、それらを不要とする存在として街角ピアノが機能してくれたらと願います。まるで弾けないヤツが心配することじゃないだろうけれど。

水辺と桜の相性について説明を受けたいけれど、ひとまず近所は満開です。

スポーツから教わること

例によって、ほぼ毎週末は野球。これが継続しているのは、率先してグラウンド確保を行ってくれるメンバーが我がチームにいてくれるから。抽選に臨んだり、急な空きを常にチェックしてくれているようです。そういう手間のかかる作業を無償で請け負ってくれる人がいてこそ、大人の部活動が存続すること、僕はかつてのアイスホッケーチーム経験でよく知っています。
そんな人々に報いるためにも、いや単純に野球がしたいだけではあるけれど、僕もまた率先して練習に参加しております。が、ほぼ毎週末、野球という団体競技にふさわしい参加者がそろうかと言えば、メンバーそれぞれ予定があるので難しい。なので、集まれる者だけでやる。3人という場合もあります。
そんなに少なくて楽しいかと問われたら、返事は曖昧になりがち。でも、そんなに少なくて練習になるかと聞かれたら、自信を持って「なる!」と答えます。
これもアイスホッケー時代の話ですが、僕らのチームには正規メンバーではないたくさんのビジターが参加してくれていました。その中には、自分のホームチームがある上手い若者が多かった。しかも全力プレー。気になって、あるときたずねてみたのです。寄せ集めのような僕らのチームでなぜそこまで頑張ってくれるのと。
「どこで滑っても練習になりますから」
しばし絶句しました。どんな場所であれ、上達のための努力を惜しまない。なるほど。だから彼らは上手いんでしょうね。そういう気概は周囲を引っ張ってくれます。おかげで僕も、少しは上達できたかもしれません。
メンツや場に流されず最善を尽くす。これは僕がスポーツから教わった、人生で大事な心掛けのひとつです。なんて偉そうなことを言っても、「今週の参加者はこれだけか」と思えばいくらかテンションは下がります。けれど、工夫次第。少なければ少ないなりの、たとえば個人の弱点克服に時間を割くとか、練習を充実させる方法はいくらでもあります。それを続けているうちにこっそり上達できたらお得だし。
しかし、野球の場合は3人が遂行の限界かな。使い切れない外野のライトあたりは、愛犬家の憩いのスペースになったりするんですよね。ワンちゃんの全力疾走を横目で見ながら必死で汗流す自分らが、時に微笑ましくなります。

散ったボールを拾い集めるAとBと、それを撮ってるC。3人だとグラウンドが宇宙のように広い。

3万円と最中

たびたび母親ネタですみません。親子であっても気持ちはよくわからないなあという件について話します。
その前に、膝の手術後の経過はすこぶるよいことをご報告しておきます。退院以来初の診察では執刀医も終始笑顔を浮かべるほどで、何より本人が「こんなに歩けるとは思わなかった!」とよろこんでおります。
だからと言って、加齢による膝の湾曲で苦しむ方々ないしはご家族に、手放しで人工膝関節全置換術を勧めることはできません。入院の不安はなかなかのものだったし。ただ、そういう選択肢もあることだけお伝えできればと。
話は母親に戻ります。先述の退院以来初の診察に行く前、例によって母親の住まいを訪れ、診察券や保険証を収めるファスナー付きケースを確かめたら、中に診察予想金額をはるかに上回る紙幣が入っていました。ちなみに、その日の診察料金はわずか200円。後期高齢者はそんな程度です。なので、こんなに必要ないと。それに、傷の治りも問題なさそうだから、いきなり再入院で不意の出費を考えなくても大丈夫と諭しました。
「その3万円は、あなたたち兄弟へのお礼。今回はずいぶん世話になったから」
いやいや、ですよ。こっちにはそういうつもりがないし、ましてや90歳を超えた母親から小遣いすらもらえるはずがありません。
「あの子(弟です)も断ったけれど、もらってもらわないとこっちの気が済まないから」
こっちが衝突し合って訳が分からなくなりますね。けれど息子として推し量れるのは、世話をするのは自分であるべきという本意を崩さない母親の立場ないしは意地。もはや一人では通院がままならい事実を受け入れつつも、感謝と無念を秤にかけたら、後者に傾くのかもしれません。
そのあたり、言及しないでおきました。プライドに関する領域はよくわからないままにしたほうがよいだろうと思って。それにおそらく、想像以上に膝が回復した実感がもたらした振舞いなのでしょう。今回は渋々受け取りました。それにしても、母親から現金をもらうなんて何十年振りだろう。こっちの照れなど気にしてないんだろうな。
「あと、この前あんたにもらった最中。すごく美味しかったから、1個取っておいた。食べて」だって。
いやいや、それもとっとと食べちまえばいいのに。何なんでしょうね、母親って。ネタに事欠かないのはありがたいけれど。

こちらが取っておかれた最中。もう1個の小豆餡を先に食べたのは、好みだったからに違いない。