街角ピアノという総称でよいのかしら? 駅や空港や商業施設など、人が行き交う一角にピアノが置かれている状況ってありますよね。誰でも自由に弾いてくださいという体で。テレビやYouTubeでその存在は知っていたけれど、実際に目にしたのはついこの間でした。
母親の入院面会で週2回くらい電車を利用していたときです。乗り換えのJRと私鉄の駅をつなぐビル内の通路にグランドピアノ。初めてそこを通った際には、50代くらいの男性が『銀河鉄道999』を弾いていました。なかなか上手でしたよ。立ち止まって聞き入らずとも、音に淀みがないのはよくわかりました。
そういう姿に触れると、これまでに何度も諦めたピアノへの憧れがよみがえります。やっぱり、音楽提供に伴う説得力に関してはピアノが最強ですね。街角ギターや街角サックスも悪くないけれど、ちょっと違うんだろうな。
そんなこんなで往復する通路なので、何回かそのピアノの脇を通ったけれど、『銀河鉄道999』の男性を二度。タイトルを知らない曲を弾いていた、件の男性と同世代っぽい女性を一度見かけました。あれは練習なのかな。あるいは多くの人に披露する意図があったのか。いずれにせよ、それ以外の空席のタイミングで、たとえば初めてピアノに触る子供がポロポロと音を出している瞬間に立ち会えたら素敵だろうと思っていました。残念ながら、僕が通っているうちには遭遇できないシーンでしたが。
だから街角ピアノは、誰でも自由に弾ける点で、音楽ないしは楽器との出会いを生む機能も果たしているんじゃないかと期待したわけです。しかし、それは性善説みたいでした。
場所によっては、付近を通る人から「下手くそだと騒音でしかない」と苦情がきたり、その対応に追われた運営者が「練習では使わないでください」と注意書きを貼り出したりするそうです。
世知辛いなあ。見守るって言葉、この社会から消えてしまったのかな。街角ピアノを巡る環境がどこも同じではないだろうけれど、僕の期待が少し萎んだのは確かです。
もしも僕がピアノを弾けたなら、通路に置かれた一台に近寄れるだろうか。相応の勇気や度胸は必要でしょうね。ただ音楽好きとしては、それらを不要とする存在として街角ピアノが機能してくれたらと願います。まるで弾けないヤツが心配することじゃないだろうけれど。

水辺と桜の相性について説明を受けたいけれど、ひとまず近所は満開です。






1枚だけ残っていたホーム端っこ写真。これを見ただけで駅名を当てられる人がいるのかな。

