おだやかな春分の日に

入退院についてお伝えして以降、母親に関する話題は高齢者のリアルが過ぎるんじゃないかと臆したり、一方で伝えたからにはその後も報告するべきかもと思ったり、あれこれ逡巡しております。けれどおかげさまで経過はよいし、身内ながらおもしろい発見があるので、今日は国民の祝日に合わせて解放することにします。
退院に際し、自分と弟でそれぞれ週に一度、母親を訪ねようと相談。確定したルーティンの中で、息子になって64年目で初めてやったことがありました。初週は母親の家で冷凍保存用に白米を炊き、翌週は自宅で冷凍した白米を届けるとか。母親にすれば、「何にもできなかった長男がご飯を炊くなんて!」と呆れたかもしれません。しかしそれは口にせず、「あんたのお米、美味しかったよ」と無邪気に言うのです。照れだけではない奇妙な感情が先に立って、何も言い返せませんでした。
2週目からは手土産持参。すぐに食べられる晩飯の用意を考えたのですが、今の母親が何を好むかわからず、食品売り場で右往左往。結局、生魚をあまり使っていない寿司と、小ぶりの和菓子を2週連続で買いました。それにも手を合わせてよろこぶので、リアクションに困りましたけれど。
じゃ、さっそく和菓子を食べよう。お茶を淹れると動き始めたら、「その前に、お父さんにあげて」と制止されました。「私だけもらったらお父さんが拗ねるから」と、まずは仏壇に供えろと。きっと母親は、そうした日常に溶け込んでいる宗教的習慣を疑うことなく守ってきたのでしょう。何十年も変わらぬ表情で写真に納まる父親と目を合わせたら、「なぜ知らなかった?」と問い質されたような気持ちになりました。何かもう、感情が多忙になりますね。
「お彼岸だからか」と言われてハッとなりました。一昨日の和菓子は、きな粉とごまのおはぎ。春はぼたもちと呼ばれることを承知したような、時候的な気遣いをしたつもりなどなく、自分のあんこ好きを反映したチョイスだったけれど、それすら母親は見透かすのかもしれません。だから、また黙りました。しかし「さっきまで金曜日が祝日なんて気づかなかった」と一人笑っていたので、よくわからなくなります。
まあ、いいか。すべては成すがまま、おだやかな春分の日になることだけ祈っていれば。

世間が桜の開花にうるさいので、再びハクモクレンを。こっちも素敵に咲いているのにね。

権利とは別のところにある本物について

少し前、「フェンダーがストラトキャスターの著作権保護に関する重要判決を獲得」したというニュースを目にして、ギター好きの心がざわつきました。
ギター好きではない方にご説明すると、ストラトキャスターは、アメリカ発のフェンダー社が1954年からつくり続けているエレキギターです。独特なボディ形状は、エレキギターを代表するデザインとして歴史的に認知されてきました。
さておき「ストラトキャスターの著作権保護獲得」で重要なのは、この判決が確定すると、少なくともEU圏内ではストラトキャスターを真似たギターの生産・販売ができなくなること。具体的には、コピーを市場に送り出していた中国企業への対抗策だそうです。
ある解説によると、大量生産される実用品のデザインは、25年の期間を有する意匠権で保護され、著作権は著作者の死後70年まで保護されるのが一般的らしいんですね。対してストラトキャスターのデザインは、いずれの保護期間からも抜けているので、ドイツの裁判所の判断が全世界にどれほど波及するかは今のところ不明だとか。ふむ。
この件に関して頭を駆け巡ったのは、対照的な二つの考えでした。ひとつは、もちろん権利は大事ということ。必死で生み出したオリジナルをコピーして商売されたらたまったもんじゃないですよね。
もうひとつは、「今さら?」という気分的なものです。実は、僕が初めて買ったエレキギターも、オリジナルより安価な国産メーカーの“ストラト・モデル”でした。たぶん今でもそういう呼び方が通例のはず。でもって初めてのエレキだったから、ある程度の満足が得られたわけです。
しかし、どこまで行っても本物じゃないことは自分自身がいちばんわかっている。そこに後ろめたさのようなものを感じたなら、本物をつかまえればいい。そうして僕は後にフェンダーのストラトキャスターを手に入れました。少なくとも僕らが若い頃にはそういうステップがあって、だからこそ「いつか必ず!」といった憧れを抱くことができたのです。
だから本物は何にも動じないでいてほしい。様々な権利の保護期間が過ぎているのだからなおさらじゃないかと。
いやまぁ、嘘も重ねれば実になる例はあるだろうから、適切な線引きは不可欠なのでしょう。いずれにしてもこの件は、ギター好きとして複雑な思いで受け止めています。ただ、僕らが惹かれているのは、裁判で争う権利とは別のところにある本物のプライドだと、それだけは言っておきたいです。これもおそらく裁判では無効の気分的な発言ですが。

エレベーターのカゴの、外側の天井。ここまで見せなくてもいいかなあと思って。

国民的

人気グループと呼べばいいのかな。国民的と修飾するべきか。
『嵐』の話です。彼らが活動終了に向けたコンサートツアーを始めたことくらいは僕でも知っていて、となればかつてのように北海道でもあるんじゃないかと思ったら、その皮切りとなる旧称の札幌ドーム公演が先週末の3日間で行われたらしいですね。開催状況に関して特段のニュースがなかったようなので、無事に終わったのでしょう。けれど今回もまた、万事無事とは言い切れない人がいたんじゃないでしょうか。
あれは2019年の夏前だったかな。3泊4日の北海道取材。取材日が近くなり担当者から出発の集合場所を知らされ、僕は混迷の縁に立たされることになります。
成田ですよ。羽田の聞き間違いと思って、3回くらい問い質したんじゃなかったかな。国内移動で成田空港利用など前代未聞。なおかつ札幌市内の宿も取れず、行かないとわからない場所に泊るという。
その理由は、『嵐』の札幌ライブ日程と重なったせい。しかし、にわかには信じられませんでした。だって、ライブは札幌でしょ。なのに羽田からのチケットが取れないなんてあり得ないだろうと。
でも、実際にあり得た。後々、いわゆる熱狂的な推し活をされている人に聞いたら、チケットが取れるならどの会場でも向かうと、叱られるように言われました。
いずれにせよ、そのとき初めて成田エクスプレスに乗りました。さらには、エアチケットがLCCしか取れないということで、成田空港内でかなり遠い場所にあるカウンターまで歩きました。その最中は愚痴と感嘆のラリーです。「何だよ嵐」と「凄いな嵐」。勝ったのは後者ですね。国民的って、相応の迷惑を被る側すら黙らせる力があるという事実をまざまざと体験すれば、自分たちの認識の甘さを悔いるしかなくなるのだから。さらには、当時の憤りすら思い出話にできるのも国民的に宿る神通力のおかげかもしれません。
今回はどうですか。さっきネットのニュースを見たら、4月末の福岡公園に合わせて、JR九州が停車した特急列車の車内で一夜を過ごせる有料プランを発表したそうです。僕らとしては、その期間そっち方面の取材は避けるべきなのでしょう。まさに神ですね。迂闊に触れば、ですもんね。

何度も掘り返されるベランダ直下の道路。工事の人たちに罪はないけれど、どうしたもんだか。

掃除機に吸い込んでもらうことを勧めます。

日曜日のWBC日本戦。ああいう結果になることは予想の範疇だったというか、より正直に言えば覚悟していました。そもそもトーナメントは、勝者と敗者が2分の1の確率で出現する仕組です。ゆえに応援するチームが負の方向に飲み込まれる可能性は低くない。2分の1って、相当なものですよね。8の4ならまだしも、1万なら5千ですから。
そんな数字遊び以前に、日本の苦戦は明らかでした。大谷選手を始めとするジャパンのメンバーが証明したように、メジャーリーガーは本当に凄いのです。大谷選手につられてメジャーリーグの試合を観るようになってから、たとえば試合のダイジェスト映像ではカットされてしまう守備や走塁といった細かいプレーの一つひとつに溜息をつくようになりました。
類稀な身体能力を備えた上で、高度な技術を身に着ける努力を惜しまない者だけが生き残る世界。そんなトッププレーヤーを選りすぐって国別でチームを組めば、戦いが熾烈になるのは必至。そんな本気の状況を生み出したのが、前回大会で優勝した日本ないしは大谷選手だった。僕はそう思っています。
それを誇りとするか、皮肉ととるか。僕は前者に一票です。だから結果を受け止め、中継が終わった後、翌日でもよかった部屋の掃除をしました。心を落ち着かせるのにもっとも適した作業と思って。
一方、嫌なことになりそうと心配しているのが、戦犯探しなどの誹謗中傷合戦。目につく範囲でも、すでに始まっている様子です。もちろん、世間の耳目が集まる事柄には一定の評価が不可欠。ただし賛辞も批判も、他者に聞かせるなら事実に基づかなければならない。それが最低限のルールです。
でも、現代は破り放題。というより無法地帯。自分も同類ながら、知恵を持った人間の浅はかさが露呈する現状に触れると、それこそ皮肉と残念な気持ちになります。今はオリンピックでも各国に誹謗中傷対策チームがあるんですよね。僕はついこの前まで知らなくて、自分の呑気さに打ちのめされたばかりです。
時々思うのは、グッド・ルーザーという英語にふさわしい日本語訳がないことです。直訳すれば「良き敗者」ですが、傷んだ者の肩にそっと手を置くような優しい配慮の意味合いまで含まれているんじゃないでしょうか。けれど誹謗中傷が全世界で起きているなら、どの言語のグッド・ルーザー的な言葉も水泡に帰しているのかもしれません。
それぞれに一言あるのはわかります。しかし本気の場を経験していないなら、そんなものは飲んで吐き出して忘れるか、掃除機に吸い込んでもらうことを勧めます。

電信柱上方のこのスペース、くちばしに小枝をはさんでくるヤツを毎年目撃するけれど、営巣の成功例はまだ見ていません。

「オジサン」敵視

年長者に対して何かとオジサン呼ばわりする男性がいます。年功序列を気にしないフランクな性格なのかもしれません。それはそれでかまわないけれど、僕も何度かそう呼ばれたので、あるときたずねてみたのです。なぜオジサンを連発するのかと。問われるのが想定外だったのか、うろたえた分だけ遅れてこう返してきました。
「僕もオジサンだから……」
何度かお目にかかっただけの、特に親しくはない間柄。聞くところによると、40代前半で独身。パートナー探しに奮闘中だとか。最近になりジムに通い始めた件は、本人が申告してくれました。「ジム、行ってるでしょ?」と聞かれたので、行ってないと答えたら「ウソでしょ、オジサン!」と、そのときもそんな感じ。
彼の感覚がわからなくもありません。おそらく「オジサン」を敵視し始める年齢に差し掛かったんじゃないでしょうか。一方で、狼狽を隠せず「僕も」と答えたのは、彼自身に「オジサン」枠に入った自覚ないしは不安があるからなのでしょう。けれど自分は違うと主張するため、年長者を見れば「オジサン」を連呼するようになった。そんなところでしょうか。
いわゆる老化は不可避。たとえば野球をやるたび、30代や40代の躍動感がうらやましくなります。でも、それがすでに手に入らないなら、皆に仲間と認めてもらえる動きを60代なりに考えるしかありません。かつて経験し得なかった抗い方に工夫を凝らしながら。
検索すれば、すぐに「オジサン」の定義が出てくるでしょう。僕にも自分なりの定義があって、そうはなりたくないともがいている点で、僕こそがもっとも「オジサン」を敵視しているのかもしれません。
ただ、歳を重ねるに連れ、諦めるべき要素を上手に諦められる人は、たぶん他人から「オジサン」の総称で呼ばれないと思います。僕が彼にそう言わせてしまうのは、あれこれ下手な気配を感じさせたからかな。だとしたら、まだまだいろいろ精進せねばなりませんね。言う理由を問い質すより、言わせない格を備えたほうが、大人としてカッコいいもんな。

午後5時からの練習は照明付き。それにしても、日が長くなりましたね。

じゃないって言いたい人

それとなく異変を感じたのは、先週の月曜日の夜。ベッドに入る直前になって鼻が詰まりました。ふんふんふんと強めの鼻呼吸を繰り返し、酒の飲み過ぎかなあと鼻をかんでみたり。それでも眠気が勝るくらいならと、特に気にせず眠りました。
翌朝はどうだったろう。そこはよく覚えていませんが、火曜日の夜も寝しなに鼻が詰まったんじゃないかな。で、ふんふんふんとし、鼻をかんで寝たのは前夜と同じ。けれど、ウトウトし始めたら鼻息の荒さで覚醒しました。いびきとは違う感じ。文字にすればピ~フュ~。目覚めたのは鼻息の音ではなく、息苦しさのせいだったかもしれません。
「ようこそ、こちら側へ」
水曜日の晩、近所の飲み屋で鼻の具合について話したら、そう言われました。未体験ながらそちら側の苦しみを知らないわけじゃないので、決して行きたい場所ではなかったのに……。
「じゃないって言いたい人、多いですよね」
これも飲み屋での、たぶん嫌味。僕はこれまで、「ですか?」とたずねられるたび「じゃない」と即答してきました。だって本当に、それら典型的な症状を実感したことがなかったから。でも、ニュースなどで「ピークです」と報じられたり、患っている方々に「今日は特に辛い」と聞かされると、そう言えば目が痒いような気がしなくもない日がありました。けれど長引かない。だから錯覚なんだとすぐに忘れる。
体内蓄積が限界を超えると発症するコップ理論は知っています。それが真実なら、やがて僕にも限界突破が訪れるかもしれない。しかしコップ理論は古い考えで、免疫とアレルギー抗体のバランスが崩れると発症するシーソー理論が新しい考えであることも知っています。であれば、バランスが取れている限りそちら側に呼ばれることはないと高をくくっていたのは確かです。
ここまで書いても、僕は決定的なワードの使用を拒んでいます。けれど、鼻はいまだに時折グシュグシュ。風邪などではないのは、体調自体に問題がないことで明らか。噂に聞く集中力の低下も倦怠感もなし。
わかっています。たぶん、そうなのでしょう。でも、もう少し様子を見てから判断を下します。ニュースが伝えるピークが過ぎれば、きっと忘れてしまえるだろうし。

うんと昔に利用していた駅の北口。口を挟める権利はないけれど、思い出も何もかもが、ね。

時速100マイルの正論

触れるべきではないと知りながら、感心しきってしまったので触れることにしました。
金曜日の午前中に出会った『大谷翔平が語るWBCベネズエラ戦と投球調整』というタイトルの動画、よかったら観てください。この人が持つ強さに潜む怖さが伝わってくるはずです。
観てくださいと言ったので、観ていただければ一目瞭然ですが、開催中のWBCで移動したマイアミでの記者会見映像です。
難しい種類の対応と思うのです。記者との一問一答は、場合によっては失言を拾われかねないから。しかし大谷さんは、彼のパフォーマンスそのままに、あらゆる芯の外し方を心得ていました。
代表的だったのは、異なる言語でたずねられた、対戦チームの国柄や人柄に関する質問でした。おそらく記者は、アジア圏はこう、中南米ならこうと、個々の違いを詳細に話してほしかったのでしょう。大谷さんの応じ方は、おおむねこんな感じでした。
「特色に違いはあっても、野球に関してはどのチームも同じルールで戦っているので、大きな違いはないと思っている。また、野球が僕らの言語だから、それをもとにコミュニケーションがとれたなら、この大会は素晴らしいものになる」
口にしないんです。あの国はこうとか、この人はどうとかなんて。この類の発言が意図せぬ扱われ方をされる危険性を理解しているからだろうけれど、その何段も高い次元で、「野球が僕らの言語」と軽やかに言い放つのです。
間違いなく大谷さんなりの正論なんですよね。けれど、そんなの普通はおもしろくありません。他の選手なら、「アイツいつも同じように答えるから聞かなくていいや」となりそうです。けれど大谷さんのそれは、誰も打ち返せない時速100マイルの正論。呆然と見送ることしかできなくても、それでも見たいものなのでしょう。
記者会見映像を観るとき、僕は自然と質問者の視点に立ちます。いい聞き方するなあとか、それをたずねてもなあとか、聞き手の資質を意地悪気味に探りながら。けれど件の会見は、記者が気の毒になりました。それぞれ質問を練ってきただろうに、大谷さんの前で完全に飲まれていたのが手に取るようにわかったからです。彼は顔を上げ、質問者に目を向け、淀みなく言葉を発するんですね。そりゃもう圧倒的ですよね。
そこで湧く疑問は、どうしたらそんな人物になれるのか? 親目線でも聞きたいかもしれません。どうしたらそんな子に育つのか? とは言えこの類は、記者会見で聞くべき質問リストから除外確定です。

散った梅とこれから咲く桜の間をつなぐのが白木蓮なのかしら。

 

「忘れてなどいません」

あらゆる自然災害の記憶に関して毎回思うのは、さしたる被害を受けなかった自分に何かを語る権利があるのか? という疑問です。とは言え、生まれて今日までの間に見聞きした国内の災害のほとんどは、決して忘れることができません。知り合いが多くいた阪神・淡路。その日に震源地の近くにいた中越。熊本も能登も。そして2011年3月11日の東日本大震災も。
あえて「たった」と言います。たった15年程度では、あの日の自分の行動や感情を消し去ることなどできるわけがありません。直後も同様です。繰り返す余震と、津波の映像。初めて耳にした計画停電。15年前の今日あたりは、福島の原発事故の行方も大きな気掛かりになっていました。
けれど、なのです。僕の身内からは、地震に限らず幾多の台風や豪雨・豪雪による直接的な被害を受けた者が出ていません。それは幸運なことに違いないだろうけれど、そうではなかった人々に向けて何ができるかを考えるとき、「忘れてなどいません」と言うだけでは、ただの自己満足や欺瞞に過ぎないと思ってしまうのです。
もちろん、想像力だけは働かせたい。そこで、今年の3月11日時点で東日本大震災の避難者が全国で約2万6000人いるという情報に耳を傾け、お一人ずつのご苦労を考えてみるのだけど、数字に圧倒されるせいか、リアルな情景は浮かんできません。たとえば、その数字の中に自分の母親が含まれていたらと思ってみても、やはり実際の話ではないので、想像はまるで膨らまない。というより、そうでなくてよかったと安堵してしまうのです。
けしからんことばかり口にしていますね。すみません。叱られついでに吐露すれば、忘れられない日付が巡ってくると、その日の出来事について語るべきか否かを検討して、いささかしんどくなります。それもあるいは、微々たるものであれ災害による被害と呼べるのかもしれません。しかし、それも“けれど”の範疇から出るはずがない、語る必要がない痛みじゃないかと。
今週に入り、そんなことをずっと考えていて、それでも語りたいなら順番を待つべきと、2日遅れで15年前に触れてみました。

早咲きで有名な近所の1本。カワヅさんのような、ソメイさんのような。

「人生でいちばんよかった年齢って?」

飲み屋で振られる真面目っぽい質問は、返答が難しいですね。ちゃんと答えるほどに場の空気を冷やすのがオチなので、できれば聞かないでほしい。先日は、その日が誕生日だった32歳からこんな質問をされました。
「トナオさんは私と同じ歳に何をやっていましたか? 人生でいちばんよかった年齢っていくつですか?」
ふむ。気持ちよさそうに酔っ払っているからこそ、答えあぐねる問いが口を突いて出るんだろうな。
32歳のときは、ひとつの専門誌の編集に必死で取り組んでいた。これは最初の質問の返し。「何の雑誌?」と真顔でたずねてきたのは別の酔客でした。手短に答えたけれど、質問した当人は聞いていませんでした。案の定ってやつですね。
いちばんよかった年齢はすぐに思いつかないけれど、ここまでの人生で、30代はもっとも楽しかった世代と言っていいかもしれない。これは二番目の質問に対する回答。
「うわ、希望が持てるぅ!」
そう叫んだ質問者は、遠くのほうで誰かと乾杯。歳を重ねるのが不安だったのかなと思ったけれど、希望を持ってくれたなら何よりです。
本当は、もっと話したかった。振り返れば30代の楽しさは、混沌とした20代を耐えた先に差し込んだ光に思えたこと。その光の強さに比例して濃くなる影とも対峙できたから、達成感や満足感もひとしおだったこと。そんなふうに感じ取れたのは、実は30代の最中ではなく、40代の中盤が近づいた頃だったこと。
さらに続ければ、40代になり20代や30代を俯瞰できるようになると、60代の中盤に差し掛かった現在は、40代にも50代にもタイトルがつけられるようになること。だからもし自分の人生を物語るとしたら、やはり10年単位で章を設けるのが適切と実感できること……。
という頭の中で瞬時に巡った説明は、誰も求めちゃいません。なので、小さな店のそこここで盛り上がる様子を黙って見守っていました。その間、たぶん1分くらい。一通り周囲を見渡した質問者が、再び僕に視線を合わせました。そこで一言。
人生でいちばん楽しいのは、やっぱり今日でしょ。
「う~、沁みる!」だって。ったく、何が沁みているんだか。けれど、それは僕の真実です。だって、自分が32歳のときに生まれた人と杯を交わせるなんて、ねぇ。そういうささやかなよろこびが沁みる気持ちは当分わからないだろうな。わかったときに自分は生きているだろうか、という侘び寂び的な感覚も。
いずれにしても、どんな年齢や世代を迎えようと、自身の味わいを大切にする他にありませんね。お誕生日の皆さん、今日の気分を存分に楽しんでください。

ひょっこり六本木ヒルズ。23年もこんなふうに見えているみたい。

無駄に意地っ張りな兄は

日々様々な事柄と向き合う中で、後に悔やんだり、反省することのないよう対応していきたいと心掛けているのです。けれど、今もって完璧とは程遠いですね。いやまったく、なぜこうも「いくつになっても」なんだろ。
弟にイライラ。たぶん、きっと、間違いなく、彼は何も悪くない。ただ、兄は勝手にその振舞いが気に入らなかっただけ。
ここ十数年、弟とは母親関連の情報交換で連絡を取っています。手段は、ほぼLINE。1月中旬から3月初旬の母親の入院時には、その頻度が高まりました。詳細を伝え合いたいときは電話に切り替えましたが、それとなく役割分担が決まっていたので、直接会うことは少なかったのです。
けれど退院の日は、二人で迎えに行くことに。弟のクルマは一般的な乗用車なので、足が不完全な母親が乗り込むなら兄のオンボロより好都合。そんな便宜以上に、弟にしてもこの機会だけは立ち会わずにいられなかった。
それは重々承知。異論を挟む余地はないのだけど、感染防止を理由に人の出入りを嫌う病棟に二人で長くいることはないとか、ここは先回りしてクルマを出口に用意したらいいんじゃないかとか、そのクルマの運転まで違うんじゃないかとか、何かもういちいち気になってしまったんですね。そうして訳もわからずイライラする自分にイライラして、あれは本当によくなかった。
そういうときに弟は、無駄に応じてきません。小さいときもそうだった。場合によっては口の中で文句を反芻していたけれど、兄はその姿が気に入らなくて、さらに怒り出す。
何だろうな。弟はどう感じたのかわからないけれど、兄の僕だけ幼少期に戻ったようで、今こうして書いていても、恥ずかしさと情けなさが募る一方です。
大人になった兄弟姉妹。皆さんはどう応じていらっしゃいますか? おそらく、何か特別なことがない限り、ともに暮らしていた幼い頃の関係性が維持・発展されていると思います。だとすれば僕は弟を、自分の出来の悪さを映す鏡のように感じたままなのかもしれない。年子で背格好も同じで、顔も似ているのに、中身は別物。
痛々しいなあオレ。一人静かに猛省していること、無駄に意地っ張りな兄は弟に言えないと思います。

この町のどこからでも見えるクレーンが組み上げているビル。やっぱり竣工はまだ先みたい。