小さい頃、というのは10歳前後。足元に落ちている石ころを眺めて、こんなことを考えました。これを遠くに投げて、他の石ころたちと混ざって見分けがつかなくなっても、その石ころ自体がなくなったことにはならないと。
哲学的なようで、その実「だから何だ?」という話ですが、僕は今でも何かを失いかけているとき、その降って湧いた啓示めいた考えを思い出します。つい最近もありました。
ショッピングモールで予定外に買った靴下の代金を支払う場面。ご機嫌な笑顔を浮かべる店員さんに「駐車場のご利用はありませんか?」と聞かれ、ふむふむと上着の右ポケットに手を入れたら、あるはずの駐車券がなかった。ならば左ポケット? ズボンだっけ? とあたふたし始めた僕が不憫に見えたのでしょう。表情を困惑の共感に切り替えた店員さんが、「他のお買い物で合算できますよ」と切り出してくれたので、それ以上の醜態を晒すことなくそこから去ることができました。
その刹那、トナオ10歳がよみがえりました。紛失したのは、おそらくただの不手際。けれど理由が何であれ、僕の手から離れた駐車券がこの世から消えてなくなることはない。そう思ったら、その事実が尊く感じられたのです。それに満足して一切探しませんでした。なぜなら、係の人に話せば駐車券の再発行ができるはずと高を括れるだけの、あれから50年で身に着けた知識と経験も具えていたから。
その数日後に別件が発生しました。遅めの時間に帰宅し、すぐに可燃ごみをまとめ、集積所に向かうべく部屋を出ようとしたら、鍵がない? わずか数分の作業で行方不明になるなんてあり得るのか? 仮に失くしたと判断しても、こんな時間じゃ大家さんに相談できないし、昨年あたりも自宅に居ながら鍵を見失ったから、二度目の申告も気が引ける。さて、どうしよう。
ひとまず深呼吸。まさかと思ってごみ袋を持ち上げたら、底のほうに可燃と分類すべき金属の塊が……。
他と混ざって見分けがつかなくなっても、なくなったことにはならない。そんな啓示を受けた10歳の自分に伝えたいことがあります。君の足元にあった石ころが、君にとってかけがえのないものだったら、そもそも遠くに投げたりしないだろう。それよりも重要なのは、この先の君は自覚が乏しいまま、いろんなものを失う人生を歩む。だからくれぐれも注意せよ。という訓示を与えても聞く耳を持ってくれるか、今の僕にも自信がありません。

春キャベツ半玉88円(税別)。安いんだろうけど、欲しかったのは4分の1サイズだった。









