朝食について書きます。思い付きのネタだけど、自分の性格が反映されているように感じたのが理由です。
現在の段取りと内容は次の通り。まず、使い古した小さいフライパンを温め、何の変哲もないソーセージを2本投入。続いてコーヒーメーカーで3杯分をセット。フライパンのソーセージをころころ転がしつつ、コーヒーメーカーがポコポコ歌うのを聞きながら、冷蔵庫からカット野菜と玉子1個を取り出し、サラダはテーブルへ。玉子はちゃかちゃかっと溶きます。
ずいぶん前、カット野菜を使っていると言ったら「洗わずに食べられるなんて」と顔をしかめた人がいたけれど、あるときテレビでカット野菜の工場を見たら、極めて神経質に衛生管理をされているのを知って、より気にならなくなりました。
ソーセージに良き焦げ目がついたら皿に移し、フライパンに少量の油を注いで溶き玉子を。毎回形が違ってしまうオムレツ風に仕上げます。
そしてパン。2個のバターロールをトースターへ。中央に切れ目を入れるようになったのは、わりと最近です。野菜とソーセージと玉子を挟んだら食べやすいかも? と思ったのがきっかけでした。
最後に、そうしたほうがバランスがよいと素人なりに考えた末、オレンジを一個トレーに載せてセット完成。以上が僕の通常の朝食です。もし毎朝出勤する生活なら、洗い物も出るここまでの手間はかけないでしょう。
さておき、この朝食が美味いかと言えば、決して不味くはないけれど、その後の活動を安定させるための、ただのルーティンに過ぎません。ルーティンのメリットは、一度決めれば従うだけ。余計なことを考えずに済むところです。
ただ、いつも同じなんておもしろみに欠けるんじゃないか。ってことは、オレってつまらないヤツなんじゃないか? そうした気づきは、ソーセージを焼いている最中、何度も頭を過っています。けれど変わらずに続けているのはなぜか。堅実? いや、芳しくない意味での保守性?
おそらくこの朝食には、元来の性格が反映されているに違いありません。けれど真実を探求する前にすべてを食べ尽くしてしまうのも、要するに毎朝のルーティンです。あるいは、朝っぱらから意味や意義など考えなくていい、僕にとっては究極のメニューなのかもしれません。

この町のどこからでも見えていたクレーンがついに撤去? お役目ご苦労様、なのかな。









