ごく稀ですが、取材先で名刺交換をする初対面の方から、「あ、田村さん!」とか「トナオさんですか?」と声をかけられることがあります。ドキッとしますね。人に対する記憶が薄い性質なので、もしや以前お会いしているのに初対面のふりして、しれ~っと名刺を差し出したんじゃないかと。そういう場面に遭遇するたび背中がぞくっとなります。
ついこの間は、幸いにして僕のほうは初めてでした。ギター関連の仕事で僕の名前を知ってくれていたそうです。その方もギター好きなので、一瞬ビビったことなどなかったようにして、「こりゃまた」と笑顔を振舞えました。いろいろ、よかった。
そういう場面は本当にごく稀なのだけど、だからこそそのたび、いわゆる初心が思い出されます。フリーランスになった当初、偶然にも昔から好きだったコラムニストと会えたとき、不躾ながらフリーの心構えをおたずねしました。
「どんな仕事も誰かが見ている。そう思うといいよ」
あれは仕事終わりのファミレス。深夜にもかかわらず人と雑音が多かったボックス席で聞かせてもらった言葉は、宝物と呼んでもいい訓戒になりました。
誰かが見ている。そこからは複数の意味合いが感じ取れます。ゆえに手を抜いちゃいけない、という直接的な指導が表面にあり、裏面には、誰かに見られる仕事をするという気概が込められているようにも思います。そしてまた、この言葉を胸に収めて様々な経験を積んでいくと、望まない境遇に直面したとき、それが訓戒として光り輝くことを知ります。要するに、常にベストを尽くせと。決して綺麗事と諦めるなと。
とは言うものの、この間の、僕の名前を知ってくれていた方が見た自分の仕事が、その人にとってベストかどうかはわかりません。そのあたりを考えると怖くなりますが、ふとした場面で試されている事実と向き合うのは、良し悪し関係なく大事なんでしょうね。ドッキリを仕掛けられるみたいでおっかないけれど。

健気という言葉、路傍に咲くこんな花のためにあるのだと思う。
