合理と合理的

編集者という職業に就き始めた最初の1週間は、その途方もない仕事量に圧倒されて便秘というか、出なかったことに気付けないという人生初の経験をしました。何しろ新人には出口が見えないわけです。いや、ベンの話ではなく。とは言え、入社したての若造に与えられる仕事なんて、仕事の山の裾野を行ったり来たりする程度に過ぎないのですが。
驚いたのは、やがて2合目、3合目と登らせてもらったときです。いざ傾斜に踏み出すと、頂上というのはむしろ見えなくなるんですよね。
そんな中で必然に迫られたのが、合理的な仕事の進め方でした。要するに無駄を省く。そのためには、まず登頂ルートをしっかり見定め、締め切りという頂上にたどり着くまでに今日やるべきことを明確にする……。
そんなのは、めちゃくちゃ当たり前の話です。それこそ、まさに合理。ただ、そういう当然を身に着けていくことで、かつては諦めかけた大きな山も登れるようになりました。経験が増えれば、登頂ルートが他にもあることがわかってくる。何しろ一歩を踏み出すこと。それさえできれば、途方もない仕事の一歩分は確実に進めたことになるから。
というような一種の基本技能は、原稿書きという現在の仕事でも生かされています。生かされるということは、世間でも普遍的な合理なんだなあと安心するのですが、しかし、ごく稀に合理的とは遠く離れた結果に巻き込まれる場合があります。聞かされていた登頂ルートが違ったと言われるだけでも慌てるのに、目指すべき山そのものが変わるという、まさに「聞いてないよぉ」が起きたりもする。今年の後半は立て続けに2件ありました。1件は登頂ルートの変更。もう1件は、どうやら山が変更になるらしい。
常に登山隊の末端にいる自分には、変更か中止の決定事項のみが伝令を通じて言い渡されます。換えの利く立場ですから、詳細な理由や事情が説明されなくてもよいのですが、たいがいは登山に参加していない然るべき立場の人が、登山隊の隊長も驚くような翻意を行うようです。
そうなるたび、こう思います。準備の度合いや、あるいは数歩踏み出した分の成果に関わらず、そこまでに要した全体的なコストを考えると、実にもったいないなあと。
何だろう、合理は普遍でも、合理的となると個人で手法が異なるってことなのかな。いずれにしても、登山のお声がけがあれば馳せ参じる僕の立場は不変を通す所存です。誰に向かって言えばいいのかよくわかりませんが、来年もよろしくお願いします。

昨日ご紹介しようと思ったのが、冬至にかかった虹。例によって正直者にだけ見えます。

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