秋の貴方

この何年かぼやき続けてきましたが、今年に至り、やはりこの国から秋がなくなった実感が高まりました。となると僕らは、四季という世界に訴えかけてきた自慢を失うことになるわけです。由々しき問題だな。
元より秋は、夏と冬の緩衝材的な存在ではありました。熱せられた空気が徐々に冷め、だんだんと寒くなっていくという。何しろ気象庁でさえ夏日や冬日の規定はあっても、秋日の基準は設けていない。そういう曖昧さが僕は好きだった。
曖昧がゆえ、特に服装に関しては小さな失敗と成功を繰り返すのが常でした。長袖を着ちゃ汗をかき、半袖を着ちゃ肌をさすり、あるいは重ね着を試みた日に夏との決別を悟り、コートを羽織るタイミングを心待ちにする、とか。
でね、こうして急に寒くなっちまうと、必要に迫られて冬服を引っ張り出さなきゃいけなくなるじゃないですか。自分はまだいいんですよ。オシャレな人間じゃないから。でも、肝心なのはあなたなのです。薄着もよかったけれど、柔らかな生地を少しずつ重ねていく変化というのを楽しめないでしょ。ってか、こっちが楽しくない。いきなり厚手の無粋ったらない。
とは言えですよ。ここしばらく気候変動に関するややこしい原稿と向き合っていたこともあり、この国の自慢を失った責任なんかを考えたりすると、いきなり悲しい気持ちになります。そう、秋は日暮れ時のそこはかとない寂しさが肝だったんだ。それさえすっ飛ばされて暖房器具を点けなきゃいけなくなったから怒ってるんだ。
何はともあれ、秋のあなたを見られなかったのが残念です。この場合は、貴方のほうが風情かな。古臭い表現か。ああ、秋も過去のものになっていくのかな。薄ら寒い気分になるな。

名もなき稜線に日は暮れぬ。

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