画数6の「死」は、滅多なことで口にしてはならないものだという、言霊信仰的な習慣があります。ありますよね? 僕はいつからかそれに倣ってきたし、今だってキーボードでshiと打って漢字変換するのをためらったくらいです。
しかし、そういう習慣があるのを知らないはずはないのに、たとえば何かを始めるのをためらっていると、「どうせいつかは死んじゃうんだから」とか「いつ死ぬかわからないんだから」と切り出され、それこそ「死」に躊躇している僕が意気地なしに思えてくる場面に出くわすことがあります。その印象的な記憶のひとつは、僕に憧れのギターを「買っていいもの」と知らしめた、アキラの言動でした。
10代の頃から欲しかったマーティンを自分のものにできた歓喜だけで書き上げた愚著『僕のマーチン君』。その中に、当時たぶん30歳だった女性編集者のアキラが登場します。
僕が憧れのマーティンを手にする数カ月前、彼女の突然の誘いで楽器屋に行ったら、その場でマーティンを買ってしまいました。おそらく音楽好きのアキラにすれば、それ以前からギターが欲しかったのかもしれない。けれどその場の彼女は、予算に見合うマーティンを何本かジャラジャラと弾いて、「これ!」と即決してしまったのです。そしてアキラは、そんなに簡単に買えるものなのかとたじろいだまま動けずにいた僕に、こうつぶやきました。
「早く買ったほうがマーチンと過ごせる時間が長いじゃん。人生には限りがあるんだし」
以上は、愚著からの抜粋引用。思い返してみると、そのときの彼女は「どうせ」あるは「いつかは」を前置きにして「死」を語ったような気がします。それに面食らった僕は、文章にする際いささか表現を和らげたのかもしれない。
いずれにせよ、そんなアキラにも大きな影響を受けて、僕は憧れの1本を手に入れたことで本を1冊書き上げてしまいました。
本日もっともお伝えしたいのは、そうして「いつかは死んじゃうんだから」的な論法を迷いなく軽やかに繰り出すのは女性ばかりということです。そう感じているのは僕だけでしょうか。女性と男性では死生観が異なるのかな。体内に命を宿せるか否かの根本的なところからして。何にせよ、自分なりの考えで時を待っているのに、女性から「死」を突きつけられるとぐうの音も出なくなります。男脳がこねくり回す思考の女々しさを思い知らされるんですよね。いやまったく、何も言い返せなくなるんだよなあ。

この間の日曜日の河川敷に訪れた夕暮れ。
