魅力ある人間の伝記は僕を何度でも完全な阿呆にする

他に方法がない当然の話ですが、ある人物の生涯を史実や事実に則って綴る伝記や一代記は、その最終章で必ず死にたどり着きます。だから物語を追いかけていけば、本なら残りページ数が少なくなるほど、切なさが増していくわけです。特に主人公が志半ばで衝撃的な最期を遂げてしまう場合は、20ページくらい前で躊躇が始まります。ここで読むのを止めたら死なないとか、または本を振り回したら別の結末に入れ替わるといった、支離滅裂な願いにとらわれるから。
じゃ、本当に最終章で本を閉じるかと言えば、それも無理。もはや最後まで読み切らなければならないという謎の使命感に突き動かされているからです。
わりと頻繁に取り上げる『竜馬がゆく』。歴史小説を数多く著した司馬遼太郎さんによる、坂本龍馬の生涯をもとにした長編のベストセラーです。今でも僕の手元にあるのは、全8巻の文庫本。これまでに7回は読み返しています。そして最終の8巻目を手にするたび、溜息をつく。どうあっても竜馬さんは死んじゃうんだよなあと。阿呆ですよね。何回読んだって結末が変わるはずなどないのに。
それでも阿呆を繰り返すのはなぜか? つまるところ何度でも触れたいのは死に様ではなく、様々な事象にいかに向き合い、どんな判断を下してきたかという生き様に他なりません。それをたどるだけで何度でもワクワクできる。あるいは過去に気づけなかった意図を発見できる期待も膨らむ。ゆえに優れた一代記は、決して閉じた物語ではないのだと、そんな感慨を持つことができるのです。
1週間前に書いた、Netflixの『SENNA』。各話約1時間で全6話のシリーズ、結局は一気見でした。最終話を観る前にはわずかにためらったけれど、やっぱり途中で止めることなんてできないんですよね。魅力ある人間の伝記は、僕を何度でも完全な阿呆にする。そしてまた、30年以上前に彼を好きになってよかったという、時間が経ったからこそ実感できる懐かしさが奇妙にも新しかった。
とは言うものの、死から逃れられない一代記を見届けると、なぜか心身ともにぐったりしますね。なので今は、意味不明なファンタジーに触れたい気分です。

黄葉手前って、蒙古斑みたいね。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA