魂が落ち着かない者たちの対話

昨日のここで、「無になれたらいいのに」「でも執着心が強いから無理」「ならば無我夢中にはなろう」という、よくわからないことを書きました。仏教方面にも触れたので、「どうした?」と思われたかもしれません。ですが、魂の共振とでもいうような話題の連鎖が起きたのです。
次の仕事が始まるまで約1時間。よく知っている若い担当者に、何かおもしろい話をしてみてと無茶振りしてみました。
「実は僕、瞑想に行くんです」
デジタル機器の使用や外部との連絡を一切禁じられた、都会の喧騒から離れた場所に行くそうな。しかも日帰りや一泊ではないので、最初にイメージした宿坊体験を超えた、僕にすれば信じ難いほどハードなものになるらしい。
「いまだ独身ですし、ここらで自分を見つめ直したいと思ったんですよね」
表情や口調から、深い思い悩みに憑りつかれている風ではないことがわかったので、僕も軽く返してみました。いやでもさ、瞑想ってどうなのよと。そうしたら、いきなりお釈迦様を持ち出してきたのです。
「あのブッダも苦行では悟りが開けず、山を下りて食事で健康を回復し、弟子たちに中道という考え方を勧めたんです。大事なのはここからで、その後のブッダは瞑想によって心理を悟るわけです。だから瞑想はとても大事なんですよ」
「だから」に至る部分に論理の飛躍を覚えたけれど、そこは無視して、中道を勧めたブッダとは仲良く酒が飲めそうだと言ったら、わかりやすい呆れ顔を見せられました。
それでもやっぱり、然るべき場所や時間を設けて瞑想すること自体、僕にとっては苦行に他なりません。ゆえに誘われても断るでしょう。しかしこの話でもっとも大事なのは、彼が僕を忘れず無事に戻ってきてくれること。でなければ仕事の依頼主が減ってしまうから。
「トナオさんって本当に煩悩まみれですね」
否定しません。必ずしも悪いものだけではないと思える煩悩に心揺さぶられてきた人生を、今さら改めるのは大変そうだし。
ちなみに、と言えば叱られそうですが、一昨日の4月8日はお釈迦様の誕生日。その前後で魂が落ち着かない二人が言葉を交わしたのは、何かの縁かもしれません。そんなことはないか。いずれにせよ、僕の食い扶持すら背負う彼がニューになって帰還するのを祈るばかりです。

ふと、天国に続くのはこんな道かも、と思いました。ま、土手に出るだけですけど。

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