家をたてるなら

今回の奄美大島ツアーは、昨年と同じ男性メンバーでした。制作担当者とフォトグラファーと、そして僕の3人。自分以外の二人には30代半ばという共通点があり、なおかつ泊りの取材となると共に過ごす時間が長いので、プライベートの話をよくしていました。仲がよろしくて微笑ましい。
そんな中で出た話題のひとつが住宅問題。ひとりは大学入学を機に上京した独身者で、もし結婚したらどこに住むか、あるいはいつかは故郷に戻るのか等々をふとしたときに考えると言います。ふとしたとき、というのが今回のような取材旅行の隙間時間なのでしょう。
もうひとりは数年前に結婚し、昨年末に第一子が誕生。出産に伴い、妻の実家がある街に転居。ただし当人は、その街が伝統的に保っている癖の強さにいまだ慣れず、できれば然るべきタイミングを見計らって、自分が住みたい街に引っ越したい旨を切り出したいそうな。
「で、トナオさんはどうなんです?」
大人しく黙って聞いていた年上に気を遣ったのか、ふいに僕の意見を求め始めました。僕はと言えば、生まれたときから借家住まいで、それが当然と思ってきたから持ち家に対する執着も理想もない人間です。だから会話に参加しなかった。にもかかわらず僕は、自分でも予想しなかった発言を口にしました。
「そこで死んでもいいと思える場所に家を持てばいいんじゃないか」
求められてもいないのに年齢を感じさせることを言わなくてもと呆れつつ、オレってそんなふうに考えてるのねと、自分の言葉に自分で驚くという、それは一種の発見でした。
しかし彼らには響かなかったようです。だよね。自分だって30代半ばで死に場所なんか意識のはるか外側だったし。じゃオレはどこで死ぬのかなあと、延々と続く深い森を湛えた奄美大島の国道を走りながら考えてしまいました。答えなんか出ません。ただ、改めてキリギリス的な生き方が明らかになっただけです。そんなことに思考を巡らせるのは、僕にとってもふとしたときだったのでしょう。

最後に機内に乗り込み最後に機外へ出るよう指示されるのがグループ5。班分けは感染対策だそうな。

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