聞くともなしに、ましてや自分に向けられたのでもないのに記憶に残るセリフがあります。
「原稿には、その人の普段の言葉が現れる」
それを小耳に挟んだのは、この業界に入って間もない20代の前半です。何というか、ハッとなりました。ということは、良い原稿を書くには日常的に良い言葉を話せなければならないんだと。それは同時に、良い言葉を知らなくちゃいけないわけですから、こりゃ猛勉強しなければと焦りました。たぶん相当に慌てたんでしょうね。当時は予想もしなかったフリーランスのライターになった今でも、こうしてそのセリフをありありと思い出せるくらいですから。
とは言え、ちゃんとできているのかと我が身に問えば、シャボン玉のような?があちこちから湧き上がってきます。実は喋るのが苦手なんですよね。可能な限り理路整然とした発言をしたいと思っていても、瞬間的に口から出る言葉はたいがい的を射ておらず、言わなきゃよかったとしょっちゅう後悔しています。けれど文章であれば、提出までに書き直しができる利点も含めて、伝えるべきことを整えられるのになあと。どうだろう、現実的には大いに怪しいな。そもそも会話の場面で「じゃ後に文章で返事を送ります」と言ったって誰も読んでくれないですよね。
それでも、意図しない限り“ら抜き言葉”は美しくないので普段の喋りから使わないようにするとか、できれば物事を一旦は肯定的に受け止めたいので、何かを問われて「ウソ!」と反応するのではなく「ホント?」と応じるように心掛けてはいます。
そのあたりをフォーカスしていくと、どういう文章を書きたいかというのは、どういう自分でいたいかに帰結するように思うんですね。そしてまた、どういう文章もどういう自分もいわゆる理想形なので、常に追い求める対象と言えます。だから、自分にはつかみ取れない“良い”を探し続けて一生を終えるのかもしれないけれど、あるいはそれがこの仕事に飽きない理由になっているのだろうと、そんなふうにも感じています。
取り留めがなくなりました。大した文章がつくれない自分を鼓舞するために書いているところもあります。本当は、自分らしさについて触れようと思いました。「そんなの固定できるのか?」という否定的な意見のもとに。

甘酸っぱい後味の紅生姜みたいなこの植物の名は? 知らないことが多すぎるな。
