自由の花火

本日、わりと近い場所で花火大会が行われます。有名な催しですが、花火と言えば夏の風物詩なのになぜ秋にやるのかと調べたら、天候の安定を狙い、数年前に時期をずらしたらしい。それも知らなかったのだから、地元民としては恥ずかしい限りですね。
コロナ禍を挟んで4年ぶりの開催だそうです。こういう触れ込みは、この春から続きました。それを見たり聞いたりするたび、閉じ籠っていた時期の長さを思い知らされます。丸3年何もできなかったなんてね。
いや、何もできなかったわけでもなかった。あるいは、3年という期間の反動として、新たに迎えた状況というのもあるようです。
つい先日、楽器屋の知り合いと会ったら、ここに来て売り上げが落ちていると嘆いていました。コロナ期間中は存外に業績がよかったと聞いていたのに、なぜだろうとたずねると、「引き籠りが終わって、みんな外に出るようなったから」と分析していました。
確かにね。外出できなくなった当初は誰もが困惑したけれど、そのうち家の中でできることを探し始めて、そうしてギターやウクレレの再発見が起きたのでした。今思い出したけれど、僕の住まいの1階に「夜中に大きな音でギターを弾くのはおやめください。お気持ちはわかりますが」という大家さんのメッセージが貼られたのも、コロナ禍になって半年くらいだったはずです。
一方、僕はと言えば以前から自宅仕事で、要するに半引き籠りのルーティンで過ごしてきたから、コロナ禍になっても実質的な変化は小さかったんですよね。世界の状況に伴ってご苦労された方はたくさんいらっしゃいましたが、あまり影響がなかったことを振り返ると、今もって世捨て人感の強さに苛まれます。いいのか悪いのか、よくわからないけれど。
いやいや、世の中的には開放感が高まったというか、やはり行動制限が解かれたことはよかったことに他ならないでしょう。久しぶりの花火大会をよろこんだ友人から、花火がよく見えるらしい場所でのパーティに誘われたのは、そんな自由の謳歌を象徴する出来事かもしれません。
さておき、花火大会は4年ぶりだけど、僕が花火を間近で見るのって、何年振りなんだろう。それがまったく思い出せない。まぁ、それはどうでもいい話ですね。

この2年でデザイン変更があったのね。キャッシュレスの時代だと気付かれにくいだろうけど。

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